エドワード7世はヴィクトリア女王とその王配アルバート公子の第2子(長男)です。現国王であるチャールズ国王に次いで長くプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)の立場に在った存在でもあります。彼の治世下に日英同盟、英仏協商、英露協商が締結され、日本・フランス・ロシアとの関係が強化されたため、「ピースメーカー」と呼ばれていることも有名です。王妃はデンマーク国王クリスチャン9世の娘アレクサンドラでした。王妃のアレクサンドラはその美貌が有名ですが、美貌の王妃を持ちながら数々の女性たちとの浮名で知られたエドワード7世は「最後の放蕩王」の異名を持ちます。その背景には、大英帝国時代と呼ばれる大きな繁栄を遂げた時代の王・偉大なる女王の1人ヴィクトリアを母に持った者として、母からの威圧に悩まされる運命にあったからかもしれません。私生活での破天荒さの目立つ皇太子時代を過ごしたエドワード7世ですが、政治ではその力量を発揮します。エドワード7世はエディンバラ、オックスフォード、ケンブリッジの大学で正規の教育を受けた、初めてのイギリス王です。政務も家臣任せにせず、大小の報告に目を通し納得がいかなければサインもしなかったそうです。女性とともにヨーロッパ各地を旅行した若き時代の経験を糧に、家臣たちも驚くような人脈をエドワード7世はもっていたと伝えられています。語学も堪能で、各国の王侯貴族と腹を割った付き合いができたことも、彼の功績のひとつだといえます。私生活とは別に、王としての責務の遂行においては非常に生真面目な王であったようです。