ルイ16世が幽閉されていたこの時期、自由の共和制の名のもと、モネロン商会により発行されたこのコインは公式な通貨ではなく民間発行のトークン(代用貨幣)として広まりました。ウジェーヌ・ドラクロワ作の「民衆を導く自由の女神」でも描かれたマリアンヌ像(自由の女神)と、女神が持つフリジア帽もまた、サン・キュロット(資産の低い階級・貧困層を指す言葉)の象徴であったことから、自由の象徴であるとされています。自由の女神と聞くとアメリカを思い浮かべる方も多いと思いますが、アメリカにある自由の女神像は1886年にフランスからアメリカへ寄贈されたものです。(1876年のアメリカ独立100周年記念として贈られました。)
ジョージ3世の時代であるイギリスでも同様に民間の銅貨を発行しておりましたが、背景としては、額面の大きな硬貨ばかりであるため、民間(市場)でお釣りとして使用できる通貨が求められ、銅貨が流通したとされています。金本位制の考えから、プレシャスメタルとしてその硬貨自体の価値で取引されていたようです。
ちなみに、モネロン(モヌロン)とはフランスの実業家および政治家の家族であり、1791年末からは2ソル硬貨と5ソル硬貨を大量に生産しています。これらの硬貨は当時フランスで発生していた硬貨不足を緩和し、その技術的かつ美的品質は、公的に製造された平凡な卑金属発行品よりもすぐれていたとされています。1792年3月にモネロン家は破産し同年5月に法により個人的な金銭の生産が禁止されましたが、これらのコインは1793年末頃まで流通していたとされています。