アーサー・テューダーは、ヘンリ―7世の長子であり、ヘンリー8世の兄にあたる人物になります。
歴史上の人物においてアーサーという名前からアーサー王を連想する人も多いと思いますが、名づけの理由にも関係しているので無関係ではありません。
この記事では、アーサー・テューダーのアンティークコインについて解説した上でその歴史とアーサーが後にテューダー朝に与えた影響についても解説します。
アーサー・テューダーの生い立ちと歴史
画像引用:https://www.englishmonarchs.co.uk/tudor_22.html
父親 | ヘンリー7世 |
母親 | エリザベス・オブ・ヨーク |
配偶者 | キャサリン・オブ・アラゴン |
王朝 | ウィンザー朝 |
家名 | ウィンザー家 |
アーサー・テューダーは、ヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークとの間に生まれた第一王子であり、皇太子の立場にあった人物で本来であれば国王になる人物でした。
アーサー・テューダーの生い立ちと歴史を3つの章に分けて解説します。
- アーサー・テューダーの誕生
- キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚
- 1502年にウェールズで15歳で没する
アーサー・テューダーの誕生
父王ヘンリー7世の肖像
画像引用:https://www.royal.uk/henry-vii
1486年、アーサー・テューダーは父ヘンリー7世と王妃エリザベス・オブ・ヨークの間に第一王子としてウィンチェスターで生まれます。
ウィンチェスターは、『アーサー王物語』における円卓の騎士で馴染み深い円卓があった場所であるといわれており、アーサー王と関係性の深い土地です。
ヘンリー7世は、ウィンチェスターで王子が生まれたことを理由にアーサーと名付けますが、後継者を神格化させるために産所をこの街にしたという説もあります。
アーサーの父の代ヘンリー7世で成立したテューダー朝は、当初はテューダー家の王位を疑う声も多かったといわれていますが、アーサーという後継者の誕生はよりテューダー朝の王権を強化しました。
キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚
ルカス・ホーレンバウトによるキャサリン・オブ・アラゴンの肖像
1489年、アーサーは2歳でスペイン王女のキャサリン・オブ・アラゴンと婚約します。
ヘンリー7世はイギリス史でも外交に力を入れた国王であり、その手法として婚姻外交を進め、自分の息子や娘たちを各国の王族と結婚させました。
2人が成長する中でイングランドとスペインの間でトラブルが発生し、国際的な情勢で婚約破棄せざるを得ない状況になることもありましたが、1501年11月12日に初めてキャサリンはロンドンに到着します。
これまで文通でしかやり取りをしてこなかったアーサーとキャサリンが初めて出会ったのもこのタイミングです。
11月14日に、聖ポール大聖堂で2人の結婚式が執り行われました。
1502年にウェールズで15歳で没する
弟ヘンリー8世の肖像
結婚から翌年の3月にアーサーは急な発熱を訴え、元々病弱であったことから重い感冒にかかります。
キャサリンも必死に看病をしますが、1502年4月に15歳で没しました。
天寿を全うできず国王に即位できなかったアーサーはいうまでも悲劇的な人物といえますが、彼の死によってテューダー朝は大きく変わっていきます。
10代で未亡人となったキャサリンは、アーサーの弟で王位を継承するヘンリー8世と再婚することになります。
王位を継承したヘンリー8世はイギリス史においても暴君とも評される王となり、後にキャサリンは離婚させられて、実質的な監禁生活を送ることになりました。
アーサーの死が後世に与えた影響
しかし、アーサーの死は間接的にヘンリー8世がローマ教皇クレメンス7世との対立する理由を作りイギリス宗教改革の原因となったといわれることがあります。
ヘンリー8世は嫡子を産まないキャサリンに愛想を尽かし、離婚して2人目の妻アン・ブーリンとの再婚を企みますが、このとき離婚に使われた大儀名分がアーサーの婚姻です。
兄の妻と弟が結婚することは教会法で禁止されていたのをローマ教皇が認める形での結婚であったため、ヘンリー8世は教会法を理由に結婚の無効を宣言したのです。
ヘンリー8世は亡くなったアーサーの婚姻の事実を利用して強引に離婚したことで、多くのカトリックを処刑したイギリス宗教改革に踏み切ることとなりました。
アーサー・テューダーのアンティークコインについて
アーサー・テューダーのアンティークコインは、本人が15歳で没したため、希少価値の高いコインは現存していません。
テューダー朝のアンティークコインは、弟のヘンリー8世や父ヘンリー7世のコインが市場に出回ることが多いコインとなっています。
アーサー・テューダーは名づけの経緯や、生まれた町が縁の深い土地であることから、アーサー王とまったく無関係の人物ではなくコインを探す上で勘違いすることもある人物ではないかと思います。
アーサー・テューダーのコインを紹介することはできませんが、イギリス史が好きなら誰でも知っているといっても過言ではないアーサー王のコインを紹介します。
アーサー王伝説 マン島 1クラウン銀貨 1996年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1996年 |
額面 | 1クラウン |
グレード | - |
直径 | 38.5mm |
重量 | 28.28 g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 30,000 |
状態 | - |
マン島は歴代のイギリスの君主が領主となる島であり、1996年時点ではエリザベス2世が統治していたため、マン島で発行されるコインにはエリザベス2世の肖像が描かれます。
表面には剣とオーブを持ったアーサー王が彫られており、アーサー王のコインの中でも正面像が描かれた珍しいコインです。
イギリス史においてテューダー朝よりもアーサー王に関心のある方はこちらのコインを集めてみるのもよいでしょう。
エリザベス2世のコインについて詳しく知りたい方はこちらの記事をチェックしてください。
エリザベス2世の記念コインを5つ紹介! 誕生から60年以上に渡る治世について
アーサー・テューダーのアンティークコインに関するよくある質問
それでは、アーサー・テューダーのアンティークコインに関するよくある質問をまとめました。
- アーサーのアンティークコインを購入するおすすめの方法は?
- アーサーを含むイギリスの希少性の高いコインの買取を依頼するなら?
それぞれ詳しく解説します。
アーサーのアンティークコインを購入するおすすめの方法は?
アーサー・テューダーの希少価値の高いアンティークコインは存在しておらず、アーサー王とアーサー・テューダーは別人であるため勘違いのないようにしましょう。
テューダー朝やアーサー王などのイギリスコインを購入したい方は、身元の分からない個人が簡単に出品できるオークションサイトを頼るのではなく、信頼性の高いコイン業者を利用することをおすすめします。
コイン業者である当サイト「コインライブラリー・プリンシパル」では、さまざまな年代のイギリスコインを取り扱っています。
アーサーを含むイギリスの希少性の高いコインの買取を依頼するなら?
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まとめ
テューダー朝の皇太子であったアーサーは国王になる前に亡くなり、自身の存在が後にイギリス宗教改革の引き金を引くことになる悲劇的な立場の人物です。
希少価値の高いアンティークコインは市場に出回っていないため、下記のコラムからテューダー朝の関連コインを調べるか、そもそもアーサー王と勘違いのあった方は、入手しやすいものであればエリザベス2世のコインなどを調べるとお気に入りのコインが見つかりやすいかもしれません。