ウンベルト1世はイタリア王国の第2代国王であり、イタリア統一後の重要な時期に王位に就いていました。
コインコレクターとして有名なイタリアの君主であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の父です。
イタリアの人気の高いアンティークコインの多くはヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の時代に発行されています。
しかし、ウンベルト1世が描かれた50リレ金貨も一部の発行年度で希少性が非常に高く注目したい金貨です。
この記事では、ウンベルト1世の50リレ金貨の歴史と魅力を徹底解説します。
この記事のポイント
・ウンベルト1世の金貨の種類をご紹介
ウンベルト1世 50リレ金貨の概要

| 概要 | 内容 |
| 発行国 | イタリア |
| 発行年 | 1891年 |
| 額面 | 50リレ |
| デザイナー | フィリッポ・スペランツァ(Filippo Speranza) |
| 表面 | 左向きのウンベルト1世の頭部 |
| 刻印(表面) | UMBERTO I RE D’ITALIA SPERANZA 1891 |
| 裏面 | サヴォイア家の戴冠紋章 |
| 刻印(裏面) | L 50 R |
| 直径 | 28mm |
| 重量 | 16.12g |
| 発行枚数 | 総数:5,071枚 1891年:414枚 |
| 品位 | 900/1000金 |
| グレード | MS61 |
ウンベルト1世の50リレ金貨は、1884年・1888年・1891年の3回にわたって発行された金貨です。
総発行枚数は5,071枚、近い額面のヴィクトリア女王の5ポンド金貨が約8万枚製造されていたことを考えると発行枚数の少なさがわかります。
加えて年度ごとに発行枚数が異なりますが、1891年製の金貨はわずか414枚しか存在しないため、1891年製のウンベルト1世の50リレ金貨は希少です。
また、流通する金貨の状態は悪いことが多く、MS60~MS64のグレードでも比較すれば状態は良好といえます。
表面にはウンベルト1世の左向きの肖像が描かれており、首元にデザイナーのフィリッポ・スペランツァの「SPERANZA」の刻印が入っていることが特徴です。
裏面にはサヴォイア家の王冠付き紋章が中央に配置されており、ローレルとオークの枝で作られたリースに囲まれています。
紋章の上部にはイタリアの星、両側に「L 50」の額面の刻印、下部の右側に造幣局の刻印「R」が確認できます。
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ウンベルト1世の歴史と時代背景
ウンベルト1世の歴史と時代背景を見ていきましょう。
- ウンベルト1世の幼少期と教育・軍歴
- 即位当時の国内情勢
- 外交と植民地政策に力を入れる
- 暗殺とその後の影響
それぞれ詳しく見ていきましょう。
ウンベルト1世の幼少期と教育・軍歴

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の子どもたち右から2番目がウンベルト1世
ウンベルト1世は、1844年3月14日にサルデーニャ王国ピエモンテのトリノで生まれました。
父はイタリア初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、母はオーストリア貴族アデライデ女大公であり、ウィーン系の血を引く高貴な家系です。
幼少期から教育は厳しく、父の部屋に入る際はひざまずいて手に口づけをしなければならないなど、厳格な形式が課せられていました。
軍人としての修行は早くから始まり、1858年3月には王立サルデーニャ軍の大尉として軍歴をスタートします。
1859年の第二次イタリア独立戦争では、まだ14歳という若さでソルフェリーノの戦いに出陣し、欧州での激しい戦場を目の当たりにしました。
続く1866年の第三次独立戦争でも、ウンベルトは第16師団の指揮官としてクストーザの敗戦後の戦場に立ち、軍事経験を積みました。
これらの経験は、後に国王として軍事を重視する姿勢に影響を与えたと考えられます。
即位当時の国内情勢

ローブを着用する即位当時のウンベルト1世
ウンベルト1世は、1878年1月9日に父ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の崩御をうけてイタリア国王に即位しました。
しかし、即位後にすぐ、ナポリでのパレード中に暗殺未遂事件が発生します。
政府高官ベネデット・カイローリが護衛中に負傷する事態となりましたが、ウンベルトは剣で攻撃をかわし無事でした。
国内で社会主義思想やアナーキズムが広がっていたことが背景にあり、国民の反政府感情が強まっていました。
暗殺未遂は一度ならず二度もあり、1897年にはアナーキストのピエトロ・アッチアリートがローマで襲撃を試みました。
イタリア統一後の国内の情勢が不安定である重要な時期にウンベルト1世は王位に就き、外交・植民地の政策を進めることになります。
外交と植民地政策に力を入れる

1882年当時のウンベルト1世
ウンベルト1世の外交政策は、軍事同盟と植民地拡大に重点が置かれていました。
1882年、ドイツ帝国およびオーストリア=ハンガリー帝国との三国同盟を承認し、イタリアの国際的地位を高めようとしました
彼は特にプロイセンの軍事主義に共感し、皇帝ヴィルヘルム2世にイタリア軍を強化するよう助言されることもありました。
また、アフリカ・紅海沿岸への進出を推進し、エリトリアとソマリアの獲得をおこないました。
しかし、エチオピアとの対立では1896年のアドワの戦いで敗北。
これにより国内では帝国主義に失敗したとして批判が高まりました。
さらに、1899年には外務大臣による中国への租借地要求があったものの、現地政府の拒否と政権内の混乱から外交は失敗に終わりました。
野心は強かったものの、失敗や対立も多く、国民の支持を得るには至りませんでした。
1900年、義和団事件への対応として、イタリアも参加した国際連合が北京を占領し、天津に租借地を得ることになりますが、これはウンベルトの死後の成果となります。
暗殺とその後の影響

晩年のウンベルト1世
1898年5月、ミラノでバヴァ・ベッカリス将軍の命令によって軍隊が発砲しました。
政府公式には82人の死者、一方で反対派は400人とも主張する犠牲が発生しており、両者の主張に食い違いが発生しました。
しかし、ウンベルトは秩序回復に成功したとして将軍への賞賛を送り、国民の不満はピークに達します。
1900年7月29日、モンツァでの公開行事中、イタリア系アメリカ人アナーキスト、ガエターノ・ブレーシによって暗殺されました。
1898年のミラノ虐殺の報復が理由であり、終身刑となり獄中で自殺したとされていますが、真偽は不明です。
ウンベルトの遺体はローマのパンテオンに葬られました。父王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と並ぶ場所です。
暗殺現場には、息子ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が創建した贖罪の礼拝堂が建設されました。
礼拝堂は1910年に完成し、碑や像などを備えたモニュメントとして、父王への追悼と国家の記憶を伝えています。
1900年の暗殺は、イタリア社会の分断と国家としての危機の象徴ともいえる出来事だったといえます。
息子であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世のコインと歴史は以下の記事で紹介しています。
ウンベルト1世の金貨の種類
ウンベルト1世の金貨は50リレのほかに20リレ・100リレの額面があります。
それぞれ詳しく見ていきましょう。
ウンベルト1世 20リレ金貨 1882年

| 概要 | 内容 |
| 発行国 | イタリア |
| 発行年 | 1882年 |
| 額面 | 20リレ |
| 直径 | 21.5mm |
| 重量 | 6.45g |
| 発行枚数 | 6,970,007 枚 |
| 品位 | 900/1000金 |
20リレ金貨はウンベルト1世の金貨のなかでも広く流通している金貨であり、1879年~1897年まで大量に発行されていました。
1882年の金貨のみで700万枚近い発行枚数であるため、20リレ金貨に関しては希少性は高くありません。
そのなかでももっとも希少性の高い発行年度は1884年であり、発行枚数は9,775 枚です。
発行枚数の少ない特定の年度に発行されており、状態が非常に良い場合は価値を持つ場合があります。
ウンベルト 1世 100リレ金貨 1883年

| 概要 | 内容 |
| 発行国 | イタリア |
| 発行年 | 1883年 |
| 額面 | 100リレ |
| 直径 | 35mm |
| 重量 | 32.2580g |
| 発行枚数 | 4,219枚 |
| 品位 | 900/1000金 |
100リレ金貨は、1880年、1882年、1883年、1888年、1891年の5年に分けて発行されました。
総発行枚数は6971枚であり、50リレ金貨よりも100リレ金貨のほうが発行枚数が多く、発行される機会にも恵まれていました。
100リレ金貨のほうが状態の良い金貨も多いため、同じグレードであれば希少性が同様であるため、50リレ金貨と価値が変わらない場合もあります。
ウンベルト1世の50リレ金貨の価値

ウンベルト1世の50リレ金貨は年度によって発行枚数が異なることから、刻印された発行年度によって価値が変わります。
| 発行年度 | 発行枚数 |
| 1884年 | 2,532枚 |
| 1888年 | 2,125枚 |
| 1891年 | 414枚 |
3つの年度を比較した時、圧倒的に枚数が少ない年度が1891年であるため、1891年製の50リレ金貨の価値が高くなっています。
直系28mm、重量約16gの金貨ですが、EFに相当する状態であっても7,000ドルを超える価格で取引されています。
地金としての価値は約1,500ドル相当であるため、大きくプレミア価値が上乗せされている状態にあるでしょう。
1891年の特年であれば、額面も重量も大きい100リレ金貨よりも高額で取引されることも珍しくありません。
ウンベルト1世の50リレ金貨を見る際は、発行年度に注目するようにしましょう。
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ウンベルト1世の金貨に関するよくある質問

ウンベルト1世の金貨に関するよくある質問をまとめました。
- ウンベルト1世の50リレ金貨はどこで購入できる?
- ウンベルト1世の金貨を売却できる場所は?
それぞれ詳しく見ていきましょう。
ウンベルト1世の50リレ金貨はどこで購入できる?
ウンベルト1世の50リレ金貨は、アンティークコイン専門店やオークションを通じて購入できます。
オークションでは相場とかけ離れた価格で取引されることもあるため、落札には注意が必要です。
相場に沿った価格で安心して購入したい場合は、アンティークコインショップを通じて購入するようにしましょう。
ウンベルト1世の金貨を売却できる場所は?
ウンベルト1世の金貨は、当サイト「コインライブラリー・プリンシパル」を通して売却可能です。
イタリアコインを中心に幅広く買取を受け付けているため、希少性の高いアンティークコインをお持ちの方は買取を検討しましょう。
詳しくはこちらのページからお問い合わせお願いします。
まとめ
ウンベルト1世の50リレ金貨は、イタリア王国の歴史を象徴する希少なアンティークコインです。
1884年・1888年・1891年の3度にわたり発行されましたが、総発行枚数はわずか5,071枚と極めて少なく、特に1891年製は414枚しか存在せず世界的にも高い希少性を誇ります。
オークションや専門市場で地金価格を大きく上回るプレミア価値がつくことも多いです。
ウンベルト1世が歩んだ激動の時代背景とともに、アンティークコインは歴史的資料としても魅力を持ち続けています。
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