アン・ブーリン(在位1533-1536)はブーリン家の娘で、王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女からヘンリー8世の2人目の妻になった人物です。
ヘンリー8世からテューダー朝の後継者となる男児の出産を期待されますが、彼女に待ち受けていたのは悲劇的な結末でした。
この記事ではアン・ブーリンの希少性の高いアンティークコインを紹介し、生い立ちと歴史を解説します。
アン・ブーリンの生い立ちと歴史
John Hoskinsによる肖像
父親 | トマス・ブーリン |
母親 | エリザベス・ハワード |
配偶者 | ヘンリー8世 |
王朝 | テューダー朝 |
家名 | ブーリン家 |
子供 | エリザベス1世 |
アン・ブーリンは、ヘンリー8世の2番目の妻であり、後のエリザベス1世の母でもあります。
アン・ブーリンの生い立ちと歴史を3つの章に分けて解説します。
- 侍女から王妃に
- 男児を流産し、国王の信用を失う
- ヘンリー8世によって処刑される
侍女から王妃に
アン・ブーリンの出生には正確なデータがなく、1501年といわれていますが諸説あります。
元々ノーフォークの農家出身であったブーリン家は、曾祖父ジェフリーが絹織物で財を成し、伯爵家と縁組して爵位と領地を増やしていた平民の家系です。
アンはフランス宮廷から1526年に帰国し、王妃であるキャサリン・オブ・アラゴンの侍女となります。
ヘンリー8世はキャサリンとの間に男児の嫡出子ができないことに悩んでおり、次々に愛人を作っていました。
アンはヘンリー8世から愛人になるよう求めますが、それを拒否し、王妃にすることを要求します。
ヘンリー8世はキャサリンでは男児の世継ぎを期待できないと考え、離婚してアンと結婚することを選択しました。
イギリス宗教改革
キャサリンとの離婚によりローマ教皇クレメンス7世と対立したヘンリー8世は、イギリス国教会を設立。
修道院を解散させ、その土地をジェントリに売り渡すことで国民の支持を得ました。
国王の再婚は当事者である妻だけでなく、国内に様々な影響を及ぼしました。
このとき離婚に反対したトマス=モアを死刑にするなど反逆者の弾圧も行っています。
男児を流産し、国王の信用を失う
1533年、元王妃であるキャサリンは宮廷を追い出され、カトリック修道士たちの多くの犠牲が伴いながらもアン・ブーリンはヘンリー8世の2人目の王妃となります。
9月に第2王女となるエリザベス1世が生まれますが、男児ではなかったためヘンリー8世に失望されます。
1536年にキャサリンが死亡しますが、葬式の当日にアンは身籠っていた男児を流産します。
男児が生まれず、身籠った男児を流産するアンをに対して、ヘンリー8世の愛情は薄れていきました。
ヘンリー8世によって処刑される
ブーリン家は元々平民の家であり、スペイン王国のフェルナンド2世の娘であったキャサリンと比較すると血筋としてアンは王妃になる説得力に欠けます。
また、ブーリン家はアンの王妃の立場を利用して政治に介入したため、多くの政敵を作っている状況でした。
つまり、ヘンリー8世から男児を儲けられなかったことでアンが見放された時点で国王の後ろ盾がなくなり、いつ謀られてもおかしくなかったということです。
アンは国王の暗殺容疑、姦通、近親相姦、魔術などの罪で兄のジョージ・ブーリンと複数の関係者と共に処刑されました。
上記の罪はブーリン家の政敵から陥れられて罪を着せられたと解釈するのが一般的です。
その後、ヘンリー8世はアンの侍女であり又従妹にあたるジェーン・シーモアと結婚。
また、5番目に結婚し、アンと同様にヘンリー8世の手で処刑されたキャサリン・ハワードは従姉妹にあたります。
アン・ブーリンの希少性の高い記念コイン
王妃でありながら謀られて処刑されたアン・ブーリンはその無念からロンドン塔に首無しの幽霊が出ると噂されるほど、悲劇のヒロインとして知られています。
『デセプション』『1,000日のアン』『ブーリン家の姉妹』などアンを題材にした映画が複数作られるほど後世で人気も高いです。
しかし、アンティークコインは王妃としての在位年数も少ないことからほとんど残っていないのが現状になります。
それでは、非常に希少性が高いアン・ブーリンの記念コインを紹介します。
アン・ブーリン 鉛メダル 1534年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1534年 |
額面 | - |
グレード | - |
直径 | 38mm |
重量 | 不明 |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 1枚(プロトタイプ) |
状態 | - |
参考:https://www.britishmuseum.org/collection/object/C_M-9010
こちらのメダルはアン・ブーリンが男児を妊娠したことを受けて、出産記念に発行予定であった記念メダルです。
しかし、アンは流産してしまったため、このメダルのコピーは作られませんでしたが、プロトタイプである木や砥石の彫刻から鋳造されたコインが大英博物館に保管されています。
裏面にはなにも描かれておらず、表面にはヘッドドレスを着けたアンの胸像が彫られています。
こちらの大変希少なメダルは大英博物館で展示されていませんが、2009年と2012年にロンドン、2015年にパリで展示されたことがあったようです。
アン・ブーリンのアンティークコインでよくある質問
アン・ブーリンのアンティークコインでよくある質問をまとめました。
- アン・ブーリンのレアなコインは購入できる?
- イギリスの金貨・銀貨を売却するおすすめの方法は?
それぞれ詳しく解説します。
アン・ブーリンのレアなコインは購入できる?
王妃ではありますが在位年数が少ないことからアン・ブーリンの金貨・銀貨は存在せず、現存するコインはコピーがないプロトタイプかつ大英博物館で厳重に管理されるほど希少価値が高くレアなコインです。
購入は不可能であるため、テューダー朝を含めた他のイギリスコインを探すことをおすすめします。
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イギリスの金貨・銀貨を売却するおすすめの方法は?
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まとめ
アン・ブーリンはヘンリー8世に処刑された最初の妻であり、テューダー朝の歴史において、イギリス宗教改革が進むこととなった中心人物でもあります。
2人目に処刑されたキャサリン・ハワードとは異なり処刑の名目となった罪状に関して無実であった可能性が高いとされているため、悲劇的な人物であったといえるでしょう。