キャサリン・オブ・アラゴンはヘンリー8世の最初の妻であるイングランド王妃であり、スペイン王の由緒正しき血筋を持つ娘です。
ヘンリー7世の婚姻外交でアーサー王太子との結婚が決まりますが、流行り病で急死したため、ヘンリー8世と再婚することとなりました。
この記事では、キャサリン・オブ・アラゴンの金貨・銀貨について解説し、その生い立ちと歴史を解説します。
キャサリン・オブ・アラゴンの生い立ちと歴史
ルカス・ホーレンバウトによる肖像
父親 | フェルナンド2世 |
母親 | イサベル1世 |
配偶者 | アーサー・テューダー |
ヘンリー8世 | |
王朝 | テューダー朝 |
家名 | トラスタマラ家 |
子供 | メアリ―1世 |
キャサリン・オブ・アラゴンは、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世との間に生まれたイングランド王ヘンリー8世の最初の妻です。
スペイン語ではカタリーナ・デ・アラゴンと表記され、カタリナとも呼ばれていました。
キャサリン・オブ・アラゴンの生い立ちと歴史を3つの章に分けて解説します。
- カタリナ王女の誕生と政略結婚
- 夫との死別とヘンリー8世との結婚
- 男児の後継者を残せなかったことが原因で離婚
カタリナ王女の誕生と政略結婚
1487年、キャサリン・オブ・アラゴンことカタリナ王女はアルカラ・デ・エナーレスでスペインを統治していたアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世の間に末子として生まれました。
姉はスペイン女王フアナであり、カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は彼女の甥にあたります。
1485年にイングランドでは薔薇戦争が終結し、ランカスター家のヘンリー7世はヨーク家のエリザベス・オブ・ヨークが結婚することで王権を強化しました。
ヘンリー7世は自身の結婚だけでなく、婚姻を外交に利用しており、自分の娘をスコットランド王やフランス王に嫁がせています。
長男のアーサーの嫁として白羽の矢が立ったのがスペイン王国のキャサリンであり、3歳のときに婚約します。
アーサーとキャサリンは成長するにつれて文通をする仲となり、キャサリンはアーサーの手紙に感銘を受け、まだ顔も見たことがない未来の夫を思うようになります。
夫との死別とヘンリー8世との結婚
ヘンリー8世
政略結婚ではあるものの、キャサリンはアーサー王太子との結婚に不満を持っていたという話はなかったため、このままアーサーが次のイングランド王になれば後の悲劇が起こることはなかったかもしれません。
1501年、代理結婚式を挙げ14歳になったキャサリンはスペインからイングランドに移り、初めてアーサーと対面します。
しかし、翌年の1502年に流行していた感冒にかかり、命を落としてしまいます。
すでにキャサリンは結婚していたため、10代で未亡人になってしまったということです。
ヘンリー7世とキャサリンの両親は、アーサーの弟であるヘンリー8世との縁組を進めることに合意します。
また、兄の妻と弟が結婚することは教会法で禁止されていたため、当初はヘンリー7世がキャサリンと結婚するという話も出ていましたが、母イザベル1世が強く反対したため、ローマ教皇の許可を取った上で認められることとなりました。
1509年にヘンリー7世が崩御するとキャサリンはヘンリー8世と再婚し、イングランド王妃の座に付くこととなります。
男児の後継者を残せなかったことが原因で離婚
ヘンリー8世と結婚した当初のキャサリンは、夫との仲は良好であったことを父フェルナンド2世に手紙で伝えています。
結婚生活は上手くいったかのように見えましたが、キャサリンは流産と死産を繰り返し、娘のメアリー1世以外は成長することはありませんでした。
ヘンリー8世は嫡出子となる男児を求めていたため、流産の度に関係が悪化し、男児が生まれないことに焦るとキャサリンとの離婚を企てるようになります。
元を正せばヘンリー8世とキャサリンの結婚は教会法に反しているため、それを利用してクレメンス7世に結婚の無効を訴えますが、それを退けられたことで国内のカトリック教を弾圧し、イギリス宗教改革を進めました。
イングランド国教会の長となったヘンリー8世は、独断で離婚を認め、1532年に2人目の妻アン・ブーリンと再婚します。
キャサリンはヘンリー8世の進めた離婚を不服として、カール5世に上訴しています。
しかし、キンボルトンに移され軟禁状態に置かれ、実質的な監禁生活を送ることとなり、1536年に崩御しました。
キャサリンの娘メアリー1世
ヘンリー8世が崩御した後に、エドワード6世が崩御し、ジェーン・グレイを失脚させたことでイギリスの歴史上で2番目の女王になります。
メアリー1世はプロテスタント化を逆行させる形でカトリック化を目指し、子供を含む多くのプロテスタントを処刑したことで「ブラッディ・メアリー」と呼ばれるようになりました。
しかし、卵巣腫瘍により1558年に崩御し、メアリーは父と再婚したアン・ブーリンの娘であることから憎み続けていたエリザベス1世に王位が継承されることとなります。
キャサリン・オブ・アラゴンの金貨・銀貨について
キャサリン・オブ・アラゴンの金貨・銀貨は残念ながら一般的に取引されるアンティークコインは市場に流通していません。
イギリス王妃であるもののヘンリー8世は6度の結婚をしており、ヘンリー8世はアン・ブーリンと結婚する際に結婚が無効になることを利用し、王妃であった事実を消して、アーサー王太子の未亡人として扱おうとしたため、キャサリンのイギリス王妃としての証になるものが残りにくい背景もあります。
テューダー朝のアンティークコインはヘンリー7世とヘンリー8世のコインが現存しており、市場に出回ることがあるのが現状です。
キャサリン・オブ・アラゴンのアンティークコインに関するよくある質問
それでは、キャサリン・オブ・アラゴンのアンティークコインに関するよくある質問をまとめました。
- キャサリン・オブ・アラゴンの記念コインを購入するおすすめの方法は?
- イギリスのコインを高く売るには?
それぞれ詳しく解説します。
キャサリン・オブ・アラゴンの記念コインを購入するおすすめの方法は?
ここまで説明した通り、キャサリン・オブ・アラゴンの記念コインは市場に出回っていません。
テューダー朝をはじめとするイギリスの記念コインを購入したいと考えている方は、信頼できる業者を通して購入することをおすすめします。
個人が簡単に出品できるオークションサイトなどで購入する場合は、相場よりも高値で購入するリスクや贋作を販売される危険性があります。
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イギリスのコインを高く売るには?
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まとめ
キャサリン・オブ・アラゴンは、2019年から放送されている米国ドラマ「スパニッシュ・プリンセス キャサリン・オブ・アラゴン物語 」で主役となり、テューダー朝の人物の中でも近年注目を集めました。
ヘンリー7世やヘンリー8世のアンティークコインを調べる中で、関連する人物の歴史も理解しておくとより当時のコインに興味を持てるようになるでしょう。