チャールズ・ブランドン(在位1514-1545)はヘンリー8世からサフォーク公を叙爵され、イギリス王女メアリー・テューダーと結婚した人物です。
一介の騎士の生まれでしかなかったチャールズが、イギリス王女と結婚できた理由はさまざまな偶然とヘンリー8世からの信頼があってこそのものだったといえるでしょう。
この記事ではチャールズ・ブランドンの記念コインについて解説し、生い立ちと歴史について解説します。
チャールズ・ブランドン(サフォーク公爵)の生い立ちと歴史
画像引用:https://spartacus-educational.com/Charles_Brandon.htm
父親 | サー・ウィリアム・ブランドン |
母親 | エリザベス・ブルーイン |
配偶者 | マーガレット・ネヴィル |
アン・ブラウン | |
メアリー・テューダー | |
キャサリン・ウィロビー | |
家名 | ブランドン家 |
子供 | こちらを参照 |
チャールズ・ブランドンは、初代サフォーク公爵の爵位を得たイギリス貴族であり、ヘンリー8世の寵臣です。
チャールズ・ブランドンの生い立ちと歴史を3つの章に分けて解説します。
- ヘンリー8世の忠臣であり親友でもあった
- メアリー・テューダーとの結婚を巡る騒動
- 生涯に4度結婚し、多くの子供を遺す
ヘンリー8世の忠臣であり親友でもあった
ヘンリー8世の肖像
チャールズ・ブランドンの正確な出生年は定かではありません。
父サー・ウィリアム・ブランドンと母エリザベス・ブルーインとの間に1483年にパリで子供が生まれたという記録があり、それが兄弟のウィリアムであるという説もありますが、チャールズ説が有力です。
父ウィリアムはヨーク朝のリチャード3世に不満を持っており、ヘンリー7世を支持して自らもフランスに渡りますが、1485年にホズワースの戦いのなかで命を落としました。
1494年には母も亡くなり、チャールズは孤児になりますが、叔父のサー・トマス・ブランドンの伝手により宮廷の一員になります。
このとき、後にヘンリー7世の跡を継ぎ国王になるヘンリー8世と親交ができたといわれています。
チャールズとヘンリー8世は親友と呼べるほど仲が良かったといわれており、スポーツ競技が好きという共通の趣味もありました。
ヘンリー8世が王位につくと、トゥールネの包囲戦などの戦績を理由にチャールズをわずか5年でサフォーク公爵の地位に昇格させました。
チャールズは後にヘンリーの義兄になりますが、血縁の絆が無くなってからもチャールズを気にかけており、後世では暴君と称されることもあるヘンリー8世の一面を垣間見れる人物でもあります。
メアリー・テューダーとの結婚を巡る騒動
チャールズ・ブランドンとメアリー・テューダー
画像引用:https://spartacus-educational.com/Charles_Brandon.htm
チャールズ・ブランドンがヘンリー8世の義兄となったのは、妹メアリー・テューダーとの結婚ですが、2人が結ばれるまでにはいくつかの出来事がありました。
メアリー王女はスペイン国王カルロス1世との縁談を予定していましたが、イングランドとフランスが和解し、友好の証としてメアリーをフランス王ルイ12世に嫁がせることが決定します。
このときすでにチャールズとメアリーは恋人同士になっていましたが、テューダー朝において婚姻は外交政策の一環であったことから、2人が結ばれることは考えられない状況でした。
しかし、メアリーが結婚してすぐに初老であったルイ12世は突然倒れ死亡します。
新王フランソワ1世は、近い将来メアリー王女がスペイン国王との再婚が実現すればフランスが不利になると考え、メアリーからチャールズへの恋心を聞くとこれを利用することを企みます。
1515年、チャールズは国王から命令を受け、メアリー1世を連れて帰るためにフランスに向かいますが、このときフランソワ1世はメアリーとチャールズを言葉巧みに誘導し、ヘンリー8世に無断で結婚させました。
フランソワ1世はカルロス1世との縁談を封じ、イングランドとスペインの結び付きが強くなることを未然に防ぎ、メアリーが持ち帰る予定であった持参金の辞退を要請しました。
ヘンリー8世は当然ながらチャールズに怒りましたが、最終的にはチャールズを許しています。
結果的に、持参金は全額返還されたためこの騒動におけるイングランドの損失はほとんどなく、チャールズとメアリーは結ばれるという2人にとっては最善ともいうべき結末を迎えました。
生涯に4度結婚し、多くの子供を遺す
1533年メアリー・テューダーは、ヘンリー8世の再婚相手であるアン・ブーリンの戴冠式の最中に死亡します。
チャールズ・ブランドンは、その後14歳の少女であったキャサリン・ウィロビーと4度目の結婚をしました。
ヘンリー8世は在位中に6回結婚をしましたが、チャールズもまた結婚の多い人生を歩んでおり、最初の妻であるアン・ブラウンとの子供や、婚外子も何人か存在したといわれています。
チャールズ・ブランドンは4度結婚し、多くの子供を儲けているので下記の表にまとめました。
アン・ブラウンとの子供 | アン・ブランドン |
メアリー・ブランドン | |
メアリー・テューダーとの子供 | フランセス・ブランドン |
エリナー・ブランドン | |
ヘンリー・ブランドン | |
キャサリン・ウィロビーとの子供 | ヘンリー・ブランドン |
チャールズ・ブランドン | |
婚外子 | サー・チャールズ・ブランドン |
チャールズは、メアリー・テューダーの早世した子供含めて3度ヘンリーという名前を付けていることから、ヘンリー8世に対する敬愛が伺えることでしょう。
晩年はヘンリー8世から手厚い施しを受け、穏やかな余生を過ごしながら1545年に亡くなりました。
チャールズ・ブランドンの記念コインについて
チャールズ・ブランドンはヘンリー8世の義兄となっても主君と臣下の関係が崩れることはなかったため、主だった記念コインは発行されておらず、市場にも流通していません。
イギリスの歴史において、チャールズという名のコインが発行されている有名な人物には、チャールズ1世、チャールズ2世、そして現在のイギリス王室においてチャールズ皇太子がいます。
上記の人物と万が一勘違いがあった場合は、検索またはリンクをクリックしてコインの情報を確認しましょう。
テューダー朝のコインが発行されている代表的な人物には、チャールズの主君であるヘンリー8世、前国王のヘンリー7世が挙げられます。
イギリスの歴史と金貨・銀貨の流通状況を理解して、お気に入りのコインを見つけましょう。
チャールズ・ブランドンのアンティークコインでよくある質問
チャールズ・ブランドンのアンティークコインでよくある質問をまとめました。
- チャールズ・ブランドンの記念コインを購入するおすすめの方法は?
- イギリスのレアな金貨・銀貨を高く売るには?
チャールズ・ブランドンの記念コインを購入するおすすめの方法は?
チャールズ・ブランドンの記念コインは前の項目でも述べた通り、希少性の高いコインは市場に流通していません。
よって、イギリスの歴史に興味がある方は、他のテューダー朝の記念コインなどを探すことをおすすめします。
コインを購入するおすすめの方法は、信頼できるコイン業者を通して購入することです。
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まとめ
チャールズ・ブランドンは、事情はあったもののヘンリー8世の許可なくメアリー・テューダーと結婚しており、アン・ブーリンとの再婚にも反対の立場を取ったにも関わらず罰せられていません。
それどころか、ヘンリー8世が重傷を負った馬上槍試合の対戦相手はチャールズでしたが、ヘンリー8世は「責任は自分にある」と言い謝るチャールズを許したそうです。
イギリス宗教改革で多くのカトリックを弾圧し、自身の妻も処刑した暴君と後世で評価されることもあるヘンリー8世ですが、幼い頃から親交があったとされるチャールズに対しては寛大な心を持っていたという新たな一面が垣間見えます。
チャールズはヘンリー8世の人柄を理解する上で重要な人物といえるでしょう。