チャールズ1世(在位1625-1649)は、ジェームズ1世(ジェームズ6世)の次男であり、王権神授説をもとに絶対王政を強めた国王です。
この治世に国民は激怒し、最終的には処刑されましたが、イギリスにおける王政の是非を国民が考えるきっかけとなった君主でもあります。
この記事ではチャールズ1世のおすすめ金貨・銀貨を3つ紹介し、絶対王政のはじまりとピューリタン革命について解説します。
チャールズ1世の生い立ちと歴史
画像引用:https://www.royal.uk/charles-i
父親 | ジェームズ1世(ジェームズ6世) |
母親 | アン・オブ・デンマーク |
配偶者 | ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス |
王朝 | ステュアート朝 |
家名 | ステュアート家 |
子供 | チャールズ2世 |
メアリー・ヘンリエッタ | |
ジェームズ2世 | |
エリザベス | |
ヘンリー | |
ヘンリエッタ・アン |
チャールズ1世は、イングランド王ジェームズ1世(スコットランド王ジェームズ6世)とアン・オブ・デンマークの間に生まれたイングランド、スコットランド、アイルランドの王位についたイギリスの王です。
チャールズ1世の生い立ちと歴史を3つの章に分けて解説します。
- チャールズ1世の誕生
- 議会無開催による絶対王政のはじまり
- ピューリタン革命と裁判による処刑
チャールズ1世の誕生
1600年、スコットランドのダンファームリンで、当時はイングランド王ではなかったジェームズ1世とアン・オブ・デンマークの間に次男として生まれます。
話すことと歩くことが満足にできるようになったのが10歳頃といわれており、吃音も患っていました。
長男のヘンリー・フレデリックは1612年に18歳になるまで生存していたため、チャールズ1世が王太子になったのも12歳のときです。
兄は病弱であったという話はなく、オックスフォード大学モードリン・カレッジに入学していましたが、在学中に感染症のチフスにより突然倒れ急死したため、チャールズ1世が王位を継承することを予測した人も少なかったでしょう。
兄のヘンリーは性格も明るく好青年であり、イングランド文化の理解にも好意的であったといわれていることから、ヘンリーが王になった場合は歴史が大きく変わっていたことを指摘する歴史家も多数存在しています。
チャールズ1世は王太子の時代から政治に関わり、イングランド議会の貴族院議員となりました。
議会無開催による絶対王政のはじまり
1625年、イングランド王・スコットランド王・アイルランド王チャールズ1世に即位します。
フランスブルボン家のヘンリエッタ・マリアと結婚しましたが、カトリックの王妃を妃に迎えたことから反カトリック派の怒りを買うことになりました。
チャールズ1世は父王ジェームズ1世と同様に王権神授説に基づき、国王の権力は神から授かったものであることから一切の反抗を許さないという政治理念のもと絶対王政を築くこととなります。
チャールズ1世はスペインとの戦争に備えて、新たな課税を行おうとした際に議会はそれに反対して1628年に権利の請願を提出します。
しかし、チャールズ1世はこれに激怒、議会を解散し請願をした議員を投獄。11年にもおよぶ無議会による絶対王政を開始することとなります。
側近のカンタベリ大主教ウィリアム・ロードとストラフォード伯爵を通して、関税の増税と船舶税の拡大を進めました。
また、ウィリアム・ロードは国教会の立場を強化するためにプロテスタントの一派ピューリタンを弾圧します。
ピューリタン革命と裁判による処刑
1639年、スコットランドのプレスビテリアンが起こした反乱の影響で議会の再招集をせざるを得なくなりました。
ジョン・ピム議員の働きにより、ウィリアム・ロードとストラフォード伯爵の逮捕・処刑が決定し、議会は議会自身の決議なければ解散できないように改革を進めることとなります。
議会派が力を持ち始めるとチャールズ1世は議会派を逮捕しようとしたことから、対立が決定的になり、王党派VS議会派の全面戦争へと発展し、ピューリタン革命が始まりました。
このイングランドの内戦は、当初、王党派が優勢でしたが、オリヴァ・クロムウェルの指揮する鉄騎隊が状況を覆すと1645年のネースビーの戦いにより、議会派の勝利が決定的となります。
チャールズ1世はクロムウェルにより高等裁判所にかけられ、暴君、反逆者、殺人者、イングランドの公敵として死刑が言い渡されました。
チャールズ1世は死に際に「I go from a corruptible to an incorruptible Crown, where no disturbance can be(私は堕落した王冠から堕ちることのない王冠に移る)」と言い残し、この世を去ります。
チャールズ1世の死後、共和制の時代と王政復古
しかし、権力を手にし護国卿となったクロムウェルは独裁に舵を切り、実質的な国王に上り詰めますが、1658年に病死。
議会派の力が弱まったのを見計らって王党派は、チャールズ1世の長男であるチャールズ2世を擁立し、議会の権限を尊重することを条件に王政復古を果たします。
王政復古はクロムウェルの議会派による独裁政権に不満を募らせていた人が多かったことから成立し、王党派はチャールズ1世を神格化することで、議会派の処刑に関わった人物をレジサイド(王殺し)として粛清しました。
ウェストミンスター寺院に安置されたクロムウェルの遺体は、後の世で国賊として非難されると、バラバラにされて20年以上生首がさらしものにされたそうです。
チャールズ1世のおすすめ金貨・銀貨3選
それでは、チャールズ1世の金貨・銀貨を3つ紹介します。
- チャールズ1世 トリプルユナイト金貨 1643年
- チャールズ1世 ユナイト金貨 1625年
- チャールズ1世 クラウン銀貨 1625年
チャールズ1世 トリプルユナイト金貨 1643年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1643年 |
額面 | 3ポンド |
グレード | - |
直径 | 50mm |
重量 | 27g |
品位 | .917 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
トリプルユナイト金貨は、チャールズ1世の支持者の贈り物に作られた希少なコインであり、ピューリタン革命下は内戦の影響でロンドン造幣所以外の地方で製造されています。
直径約50mmの大型金貨は、チャールズ1世にとって戦争の莫大な支出に対応する手段であると同時に、自身の権力を誇示するための宣伝作品でもあったと分析されているようです。
表面には、王冠を被ったチャールズ1世の左向き肖像に剣とオリーブの枝葉を持っている様子が描かれ、裏面には発行年が表記されています。
歴史的価値と希少価値を両立していることから博物館に展示されることが多く、一般に市場に出回ることが珍しい金貨です。
チャールズ1世 ユナイト金貨 1625年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1625年 |
額面 | 1ポンド |
グレード | - |
直径 | 35mm |
重量 | 8.84g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
父王ジェームズ1世の時代に成立したチャールズ1世のユナイト金貨は、イギリスのロイヤルミントで発行された主要な金貨の1つです。
約400年前に発行されたユナイト金貨は、状態によって価格は変動しますが、希少価値の高いアンティークコインとして度々市場に流通しています。
表面は王冠を被ったチャールズ1世の肖像であり、裏面の盾はイングランド・スコットランド・アイルランド・フランスを象徴にした4つに分かれた紋章です。
チャールズ1世 クラウン銀貨 1625年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1625年 |
額面 | クラウン |
グレード | - |
直径 | 不明 |
重量 | 29.9g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
ロンドンの鋳造所で製造されたチャールズ1世のクラウン銀貨であり、博物館の展示物にもなるほど希少なチャールズ1世のコインのなかでは比較的入手しやすい銀貨です。
しかし、市場に出回る機会は限られているので、販売されているのを確認したら入手しておきたいコインになります。
表面には馬に乗って剣を携えたチャールズ1世が描かれており、ユナイト金貨の盾の紋章は銀貨の裏面にも彫られています。
チャールズ1世のアンティークコインでよくある質問
最後に、チャールズ1世のアンティークコインでよくある質問をまとめました。
- 希少性のあるチャールズ1世の金貨・銀貨を購入する方法は?
- チャールズ金貨・銀貨の買取価格を高めるコインの売却先は?
希少性のあるチャールズ1世の金貨・銀貨を購入する方法は?
ここまで紹介した通りチャールズ1世のコインは、博物館に展示されるほど希少な金貨もあり、市場に流通するのは珍しいです。
購入できたとしても高額での取引が予測されますが、アンティークコインを購入する上で気をつけたいことは、コインの購入先が信頼できるかどうかになります。
オークションサイトで相手が個人の場合や、詳細が分からない取引先である場合は、偽物を販売している場合や、これまで取引されてきた相場とかけ離れた価格でコインを打っている可能性もあります。
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チャールズ金貨・銀貨の買取価格を高めるコインの売却先は?
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まとめ
チャールズ1世は処刑されたものの、クロムウェルの死後に再び国民は王政を求めたことから、イギリスと王政の結び付きが深いものであったことが分かります。
フランスの歴史では幾度も王政と共和政を繰り返した過去がありますが、イギリスの歴史において共和政はこの一度限りです。
再びイギリスにおける王政の是非が問われるときが来たとすれば、多くの人々がチャールズ1世のこととその後に訪れた共和政を思い出すことでしょう。
イギリス史において転換点ともいえるチャールズ1世のコインを当時のイングランドに思いを馳せながら鑑賞してみてください。