ジョージ4世は、ハノーヴァー朝の4代目の君主であり、1820年~1830年の10年に渡って在位しました。
贅沢王と呼ばれ、国を顧みない浪費を繰り返しましたが、画家・彫刻家・建築家のパトロンとなり、芸術分野に貢献したイギリスの国王でもあります。
国の政治においては不適格な君主と呼ばれることもありますが、芸術方面におけるジョージ4世の功績は多大なものとなっています。
この記事では、ジョージ4世とはどのような人物であるかを解説し、その歴史とアンティークコインを紹介していきます。
この記事のポイント
・ジョージ4世が描かれた希少なアンティークコインをご紹介
ジョージ4世とは
画像引用:イギリス王室 公式サイト
父親 | ジョージ3世 |
母親 | シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ |
王弟 | ウィリアム4世 |
王朝 | ハノーヴァー朝 |
家名 | ハノーヴァー家 |
配偶者 | キャロライン・オブ・ブランズウィック |
子息 | シャーロット |
ハノーヴァー朝の4代目の君主であるジョージ4世は、ハノーファー王国の国王でもあり、ゲオルク4世とも呼ばれていました。
ジョージ3世と王妃のシャーロットの間に長男として生まれます。
在位期間は、1820年1月29日~1830年6月26日となっていますが、1811年から即位するまで父王の精神疾患を理由に統治を代行していました。
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの次女であるキャロラインを妃とし、子息にはシャーロット・オーガスタがいますが、ジョージ4世が摂政王太子に生まれ亡くなっています。
そのため、ジョージ4世の死後に王位を継承したのは、王弟のウィリアム4世でした。
ジョージ4世の君主としての評価は、国を顧みずに贅沢を重ねて負債を作ってきたことから、贅沢王・借金王という名を残し、当時の人々は不満を持ったことか政治における評価は非常に低いです。
一方で、教養と魅力に溢れた人物像からイングランド一の紳士と呼ばれることがあり、芸術家のパトロンとしてイギリスの芸術史に多大な貢献をした人物でもあります。
ジョージ4世の幼少期 | 最先端の教育を受け教養を身につける
ジョージ4世は、1762年にジョージ3世とシャーロットの間に長男として生まれ、国王の長男であったことから生まれてすぐにコーンウォール公とロスシー公の称号が与えられました。
幼少期のジョージ4世は、その後の放蕩ぶりが想像できないほど最先端の教育を施され、厳しく躾けられていました。
母語である英語以外にも、フランス語、ドイツ語、イタリア語の3ヶ国語を学びましたが、語学の才能に溢れていたことからすぐに吸収していきました。
歴史や文学、行儀作法に至るまで後にその教養の高さが評価されることが納得できるほど幼少期の頃は勉学に励んでいました。
幼少期に教育を受けてきたからこそ、芸術分野に興味を持ち、芸術を愛するようになり、後に芸術家のパトロンになっていったことも理解できることでしょう。
「イングランド一の紳士」と呼ばれるのは、父王によって施された最先端の教育を身に着けたからです。
ここまでの話であれば、ジョージ4世は勉強熱心な理想の子どもであると思うかもしれませんが、父ジョージ3世との関係が悪化していくのは少年期から青年期になります。
ジョージ4世の青年期 | 浪費を繰り返し女性関係も派手になる
父ジョージ3世の人物像は倹約家で真面目であったと評価されることが多く、息子のジョージ4世とは正反対な国王でした。
ジョージ4世が現在に伝わるような浪費を繰り返す王になった理由は、父王以外の親族の影響が大きいといわれています。
ジョージ4世の叔父ヘンリーはジョージ3世の頭を悩まさせるほどの遊び人であったことから、これまで厳しい教育を受けてきたからこその反動で悪い遊びにも興味を持つようになったと考えられます。
18歳になり邸宅を与えられると、複数の愛人を連れ込んで酒を飲むようになり、尋常ではない浪費を繰り返すようになりました。
いくらお金があっても足りないことから、次々に金を無心するようになり、倹約家である父ジョージ3世との関係に亀裂が生じていきます。
ジョージ4世の女性関係の中でも最も大きなエピソードは、カトリック教徒の女性で未亡人であるマリア・フィッツハーバート夫人との結婚を決めたことです。
当時はカトリック教徒の女性と結婚することは王位を失うことであったにもかかわらず、国王の同意なく非公式な結婚式を挙げたことで騒動になりました。
最終的には夫人と別れることになりますが、ジョージ4世の女性関係はその後も落ち着くことはありませんでした。
父ジョージ3世は晩年、精神疾患に悩まされましたが、病気を悪化させた一因は息子のジョージ4世にあったといわれています。
妻のキャロライン・オブ・ブランズウィックとは不仲であった
ジョージ4世と妻であるキャロライン・オブ・ブランズウィックは、結婚のきっかけもポジティブなものではありませんでした。
浪費を繰り返し続けるジョージ4世の借金は膨らむばかりであり、父王ジョージ3世は負債の返済を支援する代わりに正式な結婚をするように言ったことで政略結婚に応じました。
当のジョージ4世はキャロラインの肖像の美しさに見惚れており、その後に起こる悲劇を知る由もありませんでした。
2人は出会った瞬間、ジョージ4世は肖像ではわからない彼女の体臭に驚き、キャロラインは贅を尽くした生活により肖像画よりも肥え太っていたジョージ4世に失望します。
なれそめの時点でお互いに愛が深まる余地はなく、失意のまま結婚式を挙げました。
2人の間に生まれた子どもはシャーロット1人だけであり、子どもが生まれてすぐに別居生活を始めます。
摂政王太子の時代からイギリス国王になるまで
1810年にアミーリア王女が死去すると、一時は回復したジョージ3世も再び精神に異常をきたしてしまいます。
正常に公務ができる状態にないことから、ジョージ4世が摂政王太子となり実質的に国を統治することになりました。
しかし、政府の事務はすべて内閣に任せている状態にあり、リージェンツ・パークや、リージェント・ストリートなどの都市計画や、ウィンザー城の再建などを行い、自分の興味関心のある仕事と趣味に没頭します。
摂政王太子であった1811年~1820年はヨーロッパの激動の時代であり、ナポレオン1世がイギリスにワーテルローの戦いに敗れたのもこのタイミングでした。
ジョージ4世は王太子時代に様々な芸術家のパトロンとなり、イギリス芸術史において様々な功績を残しました。
ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた後に、ジョージ4世がイタリアから誘致した彫刻師がベネデット・ピストルッチであり、後に「セントジョージの竜退治」のデザインも手掛けています。
イギリスのコインに描かれるセントジョージの竜退治
1820年にジョージ3世が死去すると、ジョージ4世は57歳で国王になりました。
妻のキャロラインとの関係も非常に悪化しており、ジョージ4世は彼女の不貞の証拠を掴んで離婚を画策中でした。
離婚するための法案を否決され、当時の世論もキャロラインに同情する声が多く、ジョージ4世に味方のいない状況です。
しかし、キャロラインは戴冠式を挙げてからすぐに病気で亡くなっており、ジョージ4世もその後に再婚することはありませんでした。
ジョージ4世の功績 | スコットランドに対して歩み寄る姿勢を見せる
キルトを身に着けるジョージ4世
ジョージ4世は戴冠式を終えると、不摂生による病気が体を蝕むまでは公務にあたっていました。
通風・浮腫が発症し、1828年には白内障になり、1830年には解剖の結果、胃血管破裂による上部消化管出血により崩御しました。
寿命が近づくと急に信心深くなったといわれており、自分の一生に対して後悔も反省もしなかったとは言い難いですが、最後まで浪費を重ね贅沢の限りを尽くした王でした。
ジョージ4世の作った借金は王室費の半分であるといわれており、借金王と呼ばれる所以となっています。
当時の国民からも非難が多く、ここまでのエピソードを振り返っても良い話はほとんどなかったといって良いでしょう。
ジョージ4世の功績として挙げられるのは、スコットランド訪問であるといわれており、ハノーヴァー朝の国王として初めてスコットランドに訪れています。
この時、スコットランドの伝統衣装であるキルトを身に着けることで、イングランドへの反感を抑えることに成功しています。
イギリスの小説家であるウォルター・スコットから勧められたため、この様な行動を取ったといわれていますが、ジョージ4世が芸術を愛し、芸術家や作家との交流があったからこそ良い方向に進んだといえるでしょう。
また、直接的な功績とはいえないかもしれませんが、ジョージ4世の摂政王太子時代にあのナポレオンとの戦争に勝利したことは大きな功績であると考えられます。
庶民から非難されたロイヤルパビリオンの建造も、当時のイギリスの上流階級の流行に乗っており、現在も残り続けて経済の流れを生んでいます。
また、建造物・芸術方面で遺した功績が多く、ジョージ4世は後世に名を残すことを意識していたことから、長い目で見れば成功した国王といえるのかもしれません。
賛否分かれる中で、否定の意見も多い国王ではありますが、マイナスなエピソードだけでなく功績も後世に残っている国王です。
ジョージ4世の希少性の高いアンティークコイン
発行国 | イギリス |
発行年 | 1826年 |
額面 | 5ポンド |
グレード | Proof EF |
直径 | 38mm |
発行枚数 | 150枚 |
こちらの金貨は、1826年に発行されたジョージ4世の5ポンド金貨であり、総発行枚数は150枚の希少な金貨です。
肖像画でも描かれているジョージ4世の頭髪が細かく描かれており、若い頃は端正な顔立ちから魅力的な容姿を持った人物でした。
加えて、こちらの金貨は製造時のエラーと考えられるエッジへの欠損が見られます。
発行された後についた傷や摩耗はコインの価値を減少させてしまいますが、製造時における傷やデザインのずれはコインの希少性をより高めます。
ジョージ4世はイギリスの君主の中でけっして人気があるわけではありませんが、アンティークコイン市場においては希少性の高さからその価値が高く評価されている人物です。
まとめ
ジョージ4世の人物像を歴史とともに紹介しましたが、放蕩な君主として自分勝手に生き、国民を顧みなかった姿勢から後世における評価もけっして高いものではありません。
しかし、世俗と離れることも多い芸術分野における功績は大きく、彼自身が描かれたアンティークコインも希少性の高さから高い価値を持ちやすくなっています。
国王としての人気が必ずしもアンティークコインの価値に結び付くわけではないため、イギリス王室のアンティークコインを購入するなら希少性を含めてコインの価値をみきわめるようにしましょう。
イギリス王室のアンティークコインについてはこちらの記事で紹介しています。