ヘンリー8世(在位1509-1547年)は、ヘンリー7世の後継者であり、テューダー朝の2代目国王です。
テューダー朝の王権を強化すべく、反逆者を次々に処刑し、イギリスの宗教改革を行った絶対王政を象徴する王の一人でした。
この記事ではヘンリー8世の希少性の高い金貨・銀貨を紹介し、その生い立ちから6回の結婚と妻についても詳しく解説します
ヘンリー8世の生い立ちと歴史
画像引用:https://www.royal.uk/henry-viii
父親 | ヘンリー7世 |
母親 | エリザベス・オブ・ヨーク |
配偶者 | キャサリン・オブ・アラゴン |
アン・ブーリン | |
ジェーン・シーモア | |
アン・オブ・クレーヴズ | |
キャサリン・ハワード | |
キャサリン・パー | |
王朝 | テューダー朝 |
家名 | テューダー家 |
子供 | メアリー1世 |
エリザベス1世 | |
エドワード6世 | |
ヘンリー・フィッツロイ |
ヘンリー8世はテューダー朝の第2代イングランド王であり、ヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークの間に生まれた次男です。
ヘンリー8世の生い立ちと歴史を解説します。
- ヘンリー8世の誕生
- ヘンリー8世の即位と治世
- キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚と宗教改革
- 6人の妻とその処遇
- ヘンリー8世の晩年
ヘンリー8世の誕生
1491年、ロンドンのプラセンティア宮殿で、ヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークの3人目の子供として誕生します。
兄にはアーサー、姉はマーガレット、妹にはメアリーがおり、当初の王位継承順位は2位でした。
幼少期からヨーク公を授爵し、さまざまな立場を与えられ、当時としては最高レベルの教育を与えられたといわれています。
1501年に兄アーサーが婚儀の20週後に急死したことで、弟のヘンリーが後継者となりました。
教会法では兄の妻と弟が結婚することを禁止していましたが、ローマ教皇の許可を得た上で当初は兄のアーサーに嫁ぐはずであったフェルナンド2世とイサベル1世の娘であるキャサリン・オブ・アラゴンと婚約します。
しかし、ヘンリーは当時10歳であり、本人も結婚に意欲的でなかったことから即位まで結婚は見送られました。
ヘンリー8世の即位と治世
1509年、ヘンリー7世の崩御し、ヘンリー8世が即位しました。
当時のヘンリー8世は17歳という若さであり、国王となってすぐにキャサリン・オブ・アラゴンと結婚しています。
ヘンリー7世が進めた王権の強化を引き続き継続しましたが、その内容は後世において冷血無慈悲、暴君と表現されるような激烈な内容でした。
即位した翌年に父に仕えたリチャード・エンプソンとエドマンド・ダドリーを反逆罪で処刑し、以降も自身の障害となる人物はこの方法で処理しています。
当時のイングランドは絶対王政であったため、国王の権力が最も高い状態にありました。
障害となる人物を片っ端から処刑をしていくやり方で王権を強固なものにする中、ヘンリー7世と同様に外交もおこなっています。
イタリア戦争では、フランス王フランソワ1世とスペインの神聖ローマ皇帝カール5世の両方から同盟を結ぶことを要請されます。
ヘンリー8世は、戦争の状況や王妃キャサリンの血筋からスペインを支持するのが得策と考え、カール5世と同盟を結びました。
キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚と宗教改革
王権を築く上でヘンリー8世は次の王となる摘出の後継者を求めるようになります。
キャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれた2人の子供は死産し、ようやく生まれた3人目の子供も女児であり後のメアリー1世です。
この当時からヘンリーは多くの愛人と関係を持ち認知されない子供が多く存在したといわれていますが、エリザベス・ブラントとの間に生まれた息子ヘンリー・フィッツロイのみを認知していました。
しかし、テューダー朝は薔薇戦争によって樹立した王朝であり、その正当性に疑問を持つ貴族も多く、ヘンリー8世の摘出子である男児を世継ぎに立てなければ、他のライバルとなる王族関係者に隙を見せることにつながると考えるようになります。
ヘンリー8世は世継ぎが生まれないのは王妃のキャサリン・オブ・アラゴンのせいであるとして、王妃の待女でありまだ若いアン・ブーリンを求めました。
元々キャサリンとの結婚が兄の妻との結婚であることから婚姻自体が無効であることを訴えて、離婚を画策します。
しかし、それはローマ教皇クレメンス7世との対立を招き、これをきっかけにヘンリー8世はイギリス宗教改革を進めました。
ローマ教会と対立するためにイギリス国教会を創始し、修道院を解散させ、カトリック教会から離脱。
改革と離婚を非難したトマス・モアも処刑し、反対派を厳しく弾圧しました。
6人の妻とその処遇
ヘンリー8世は生涯で6人の妻を持った王でした。
最初の妻であるキャサリンは追い出され、アン・ブーリンを新たな妻に迎え入れます。
アンも後のエリザベス1世を生みますが、ヘンリー8世との間に男児が生まれることはありませんでした。
幾度の流産をきっかけにブーリン家の政治介入が行き過ぎており、政敵を作っていたこともあり、姦通罪、近親相姦罪などさまざまな罪を名目に逮捕され、アンは処刑されました。
そして、ヘンリー8世はアンの侍女であったジェーン・シーモアと結婚。
男児であるエドワード6世を生みますが、本人は産褥死します。
次に、カール5世の対抗相手であるヴィルヘルム5世の姉アン・オブ・クレーヴズと結婚し同盟関係を望みますが、お互いに相性が合わずにすぐに離婚しました。
ヘンリー8世はかつてのアンの侍女であるキャサリン・ハワードと結婚し、その若さから非常に大切にしたといわれていますが、秘書との姦通が発覚し、関係者全員が処刑されました。
1543年、最終的にヘンリーは肉体の衰えを感じ、自身の看病をしてくれる女性を求めて未亡人であったキャサリン・パーと6度目の結婚をしています。
しかし、ヘンリー8世が崩御すると6人目の妻であるキャサリンはトマス・シーモアと再婚して宮廷から出ています。
ヘンリー8世の晩年
晩年のヘンリーは肥満になり、古傷の後遺症により健康面が著しく悪化していきました。
健康状態の悪化に伴い求められた妻がキャサリン・パーであり、晩年は彼女に介護されることとなります。
そして、1547年、ヘンリー8世はホワイトホール宮殿で崩御し、聖ジョージ礼拝堂に埋葬されます。
新たな王として9歳のエドワード6世が王位に付きますが、病弱であることが心配されていたこともあり15歳で崩御しました。
その後のテューダー朝は、イギリスの歴史上初の女王であるジェーン・グレイ、ヘンリ―8世の娘であるメアリー1世、エリザベス1世が即位することとなりますが、ヘンリー8世の子供は誰も子を成すことはありませんでした。
ヘンリー8世の大悪改鋳
貨幣の品質を落とし、発行する通貨の量を増やすことで、財政を補う政策です。
1526年には銀貨の純度を2分の1に減らし、1546年には銀の純度が3分の1になりました。
ヘンリー8世の死後、大悪改鋳が原因で国家は重い負債を抱えることとなり、物価は際限なく上昇し、農民一揆も頻発。
貨幣問題はエリザベス1世の時代までイギリス経済の足を引っ張ることとなりました。
また、純度を下げた銀貨は使い続けると中の銅が見えやすくなり、ヘンリー8世の鼻の部分が真っ先に削れることからOld Coppernose(古びた銅の鼻)と呼ばれていました。
ヘンリー8世の希少性の高い金貨・銀貨3選
ヘンリー8世は経済政策で大悪改鋳を行っており、質の低い貨幣ばかり発行したことから価値が低いのではないかと考える方もいるかもしれません。
しかし、後世の時代においてアンティークコインの資産価値は必ずしも純度に依存するのではなく、発行枚数や希少性によっても変化します。
つまり、当時は悪鋳と呼ばれた貨幣であっても現存する枚数が少なければ価値が高まる可能性があるのです。
アンティークコインの価値は品質だけではなく、描かれている人物や希少性によっても変動するので悪鋳であるから資産価値が低いといった単純な話ではないことを意識しながらコインを見ていきましょう
- ヘンリー8世 ソブリン金貨 1544~1547年
- ヘンリー8世 テストン銀貨 1544~1547年
- ヘンリー8世 グロート銀貨 1544~1547年
ヘンリー8世 ソブリン金貨 1544~1547年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1544~1547年 |
額面 | 1ポンド |
グレード | - |
直径 | 37mm |
重量 | 11.56g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
ヘンリー8世の時代に作られた貨幣は、1526年~1544年を第一期、1544年~1547年を第二期、そしてこちらのソブリン金貨が発行された1544~1547年のわずか3年間を第三期と呼びます。
第三期のコインは発行枚数が少ないことから希少性が高まりやすいです。
表面にはヘンリー8世が玉座に座っており、裏面にはライオンとドラゴンが冠状の盾を掲げる絵が彫られています。
ヘンリー8世 テストン銀貨 1544~1547年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1544~1547年 |
額面 | テストン |
グレード | - |
直径 | 31mm |
重量 | 6.99g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
ヘンリー8世の大悪改鋳によりOld Coppernoseという不名誉なあだ名をつけられる原因となったコインがこちらの銀貨になります。
しかし、発行年数がわずか3年しかないことから現在ではほとんど現存しておらず、歴史的背景もあるコインであることから資産価値が上昇している銀貨です。
現存数が少なくなった背景としては、粗悪な貨幣は発行された後に信用回復のために回収されたことも理由として考えられます。
表面にはヘンリー8世の正面像、裏面にはテューダー朝の象徴である薔薇が描かれています。
ヘンリー8世 グロート銀貨 1544~1547年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1544~1547年 |
額面 | グロート |
グレード | - |
直径 | 25mm |
重量 | 2.46g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
こちらも第三期に作られた銀貨ですが、横向き肖像や正面像ではなく斜め前から見たヘンリー8世の顔が彫られているのが特徴です。
このような肖像のコインは非常に珍しいためコレクターの間で人気です。
ヘンリー8世のアンティークコインに関するよくある質問
ヘンリー8世のアンティークコインに関するよくある質問をまとめました。
- ヘンリー8世の金貨・銀貨を買うおすすめの場所は?
- ヘンリー8世の金貨・銀貨を高く売るには?
それぞれ詳しく解説します。
ヘンリー8世の金貨・銀貨を買うおすすめの場所は?
ヘンリー8世の金貨・銀貨は貨幣の発行時期や、種類によって価値が変動します。
アンティークコインの相場は純度だけにとらわれず、さまざまな要因で決まるのでコインの相場を正確に把握することは難しいです。
そのためアンティークコイン初心者の方は、相場とはかけ離れた価格で出品しても問題がないオークションサイトで取引するよりも、信頼できる業者を通してコインを購入することをおすすめします。
古物商許可証を取得したコインの取扱業者である「コインライブラリー・プリンシパル」は、外国貨幣評価書、オークションログに基づいた適切な価格設定でコインを販売しています。
取引する業者が信頼に値するかを見きわめてから購入しましょう。
ヘンリー8世の金貨・銀貨を高く売るには?
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まとめ
ヘンリー8世は、その歴史から暴君や好色といわれることもありますが、その根底には王権を強固なものにするという強い意志があります。
大悪改鋳によって発行された粗悪な銀貨が、現代において高い資産価値を持つこともアンティークコインの奥深さを知るきっかけとなる人物ともいえるでしょう。