ヨアヒム・ミュラ(ナポリ王ジョアッキーノ1世:1808-1815)はナポレオン・ボナパルトの義弟であり、カロリーヌ・ボナパルトと結婚しナポリ王になった人物です。
ナポレオンの戦争に大きな貢献をし、フランスの貴婦人からの人気の高い軍人でしたが、最終的にはナポレオン一族の中で唯一処刑されました。
この記事では、ヨアヒム・ミュラの金貨・銀貨・銀貨の3つのアンティークコインを紹介し、歴史を解説します。
ヨアヒム・ミュラ(ナポリ王)の生い立ちと歴史
父親 | ピエール・ミュラ |
母親 | ジャンヌ・ルビエール |
配偶者 | カロリーヌ・ボナパルト |
子供 | アシル |
レティツィア | |
リュシアン | |
ルイーズ |
ヨアヒム・ミュラはナポリ王ジョアッキーノ1世であり、ナポレオン1世の妹であるカロリーヌと結婚したため、ナポレオンの義弟でもあります。
ヨアヒム(Joachim)は各国によって読み方が異なり、フランス語読みではジョアシャンと読み、イタリア語読みではヨアキムと読みます。
この記事ではJoachimの最も一般的な読み方であるヨアヒムに統一した上で、生い立ちと歴史を3つの章に分けて解説します。
フランスの伝説的な騎兵指揮官
1767年に、ヨアヒム・ミュラは不動産管理人の父ピエール・ミュラと母ジャンヌ・ルビエールの間に生まれます。
後に軍人として多大な功績を挙げるミュラですが、当初は両親の希望で神学校に通い聖職者になることが望まれました。
しかし、聖職者というあり方はミュラにはまったく合わず、そこで出会った女性と駆け落ちしてやめてしまい、騎兵中隊に飛び入りで入隊します。
ミュラは若手の騎兵指揮官として注目され、1792年には少尉に昇格し、部隊でも非常に人気の高い色男として知られるようになります。
ナポレオン・ボナパルトと出会ったのは1795年であり、ヴァンデミエールの反乱の鎮圧に協力したことで、ナポレオンの立場も強くなり、ミュラも着実に戦果を上げていきます。
ナポレオンとミュラが挑んだイタリア遠征、エジプト遠征、アブキールの戦い、アイラウの戦いにおけるミュラの活躍は伝説的であったといわれており、ナポレオンの戦いにおける功労者ともいえる存在でした。
カロリーヌ・ボナパルトとの結婚
出世する前のヨアヒム・ミュラは容姿端麗で武勇に秀でた隙のない軍人でしたが、その人物像に陰りが見え始めたのはある人物との結婚が契機でした。
1800年に、ミュラはナポレオンの妹カロリーヌ・ボナパルトと結婚します。
つまり、この結婚によって、ミュラはボナパルト一族に入りナポレオンの義弟になったということです。
名前もヨアヒム=ナポレオン・ミュラに改名しています。
彼のこれまでの戦果を考えればおかしくはない話ですが、ナポレオンは当初反対しており歓迎していませんでした。
ヨアヒムは騎兵としては優秀ですが、高位の指揮官として指示を出す側になると優柔不断で失策が目立つようになりました。
1808年にはスペイン王になった長兄ジョセフの代わりにナポリ王ジョアッキーノ1世に即位します。
しかし、国を治める能力にも長けておらず、王としての器がないことが浮き彫りになりました。
ナポレオンからの離反と処刑
ヨアヒム・ミュラは戦場では間違いなく英雄と呼ばれる存在であったことは間違いありません。
しかし、ナポレオンもミュラのことを「彼は戦場では最も勇敢な男であるが、戦場の外では判断力も決断力もない腑抜けである」と評しています。
騎兵としては非常に優秀であっても、元帥に求められる指揮能力はなく、王としての内政と外交能力もなかったため、彼の能力に合わない出世が不幸の始まりだったといえるかもしれません。
ミュラは権力欲の強い妻カロリーヌからいわれるままにナポリでの自分たちの立場を守ることを優先するようになります。
ロシア遠征でナポレオンが大敗すると、フランスから離反し、イギリスとオーストリアと独断で交渉を進めます。
しかし、ウィーン会議でミュラの王位ははく奪され、再びナポレオン側に付きオーストリアと戦争をして敗北しました。
ナポレオン1世がワーテルローの戦いで敗北した後に、ナポリ戦争でナポリを奪回しようとしますが、1815年に逮捕された後に処刑されます。
義弟ではあるもののナポレオン一族の中では唯一処刑された人物です。
ヨアヒム・ミュラのおすすめコイン
ヨアヒム・ミュラは、非常に端正な顔立ちをしており、フランスの多くの貴婦人の心を掴んだ色男です。
現存する肖像画や、発行されているアンティークコインからもそれが分かるため、ミュラのコインはさまざまな種類が現存しており人気があります。
それでは、ヨアヒム・ミュラのおすすめのアンティークコインを紹介します。
- ヨアヒム・ミュラ 40リレ金貨 1813年
- ヨアヒム・ミュラ 5リレ銀貨 1813年
- ヨアヒム・ミュラ 3グラナ銅貨 1810年
ヨアヒム・ミュラ 40リレ金貨 1813年
発行国 | イタリア |
発行年 | 1813年 |
額面 | 40リレ |
グレード | - |
直径 | 27mm |
重量 | 12.81g |
品位 | 900% |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
イタリアで発行されたヨアヒム・ミュラの40リレ金貨で、同時期に20リレ金貨も発行されていますが、裏面の額面だけでなく表面の肖像にも違いがあります。
ミュラの特徴的な頭髪が細かく描かれた左向き肖像です。
ヨアヒム・ミュラ 5リレ銀貨 1813年
発行国 | イタリア |
発行年 | 1813年 |
額面 | 5リレ |
グレード | - |
直径 | 37.5mm |
重量 | 24.85g |
品位 | 900% |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
同じくイタリアで発行されたヨアヒム・ミュラの5リレ銀貨です。
ミュラの銀貨は1リレ・2リレなどさまざまなバリエーションが発行されており、5リレ銀貨ではミュラの左向きの肖像が描かれています。
ヨアヒム・ミュラ 3グラナ銅貨 1810年
発行国 | イタリア |
発行年 | 1813年 |
額面 | 3グラナ |
グレード | - |
直径 | 34mm |
重量 | 18.71g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
ヨアヒム・ミュラは金貨・銀貨に加えて銅貨も発行されているため、ナポレオン一族の中でも発行されているコインの種類は多い人物といえるでしょう。
表面に左向き肖像が描かれ、裏面には花輪の中に額面が書かれていますが、発行タイミングによって裏面の表記も異なるようです。
ヨアヒム・ミュラのアンティークコインに関するよくある質問
最後に、ヨアヒム・ミュラのアンティークコインに関するよくある質問をまとめました。
- ヨアヒム・ミュラの金貨・銀貨・銅貨を購入するおすすめの方法は?
- 希少性の高いヨアヒム・ミュラの金貨・銀貨・銅貨の買取できるところは?
それぞれ詳しく解説します。
ヨアヒム・ミュラの金貨・銀貨・銅貨を購入するおすすめの方法は?
ヨアヒム・ミュラはナポレオンの義弟であることからナポレオン一族のコインとして収集の対象となっており、金貨・銀貨・銅貨の3種類が現存しており、バリエーションが豊富です。
さまざまなパターンのアンティークコインが確認できるミュラのコインですが、近年では市場に出回るコインの数が少なく個人も簡単に出品できるオークションサイトでは明確な相場が形成されていないのが現状になります。
アンティークコイン初心者でヨアヒム・ミュラのコインを購入するなら、カタログやオークションログなどを基に適切な価格でコインを提供する信頼できる業者を通して購入することをおすすめします。
希少性の高いヨアヒム・ミュラの金貨・銀貨・銅貨の買取できるところは?
ヨアヒム・ミュラのアンティークコインはさまざまありますが、どのコインを売却するとしてもできる限り高値で買取を依頼できる業者に売却したいところです。
当サイト「コインライブラリー・プリンシパル」では、コインの鑑定・買取を実施しており、できる限り高値での現金化を目指します。
また、当サイトにコインを出品できるので、詳しく知りたい方はこちらのページをご参照ください。
まとめ
ヨアヒム・ミュラは処刑される際も美貌を傷つけることなく処刑せよという命令が出るほどの美しい容姿をしており、肖像も多く現存しています。
アンティークコインの種類も多く、ナポレオン一族のコインとして多くのコイン収集家から人気を集めているので、入手できる機会があれば入手しておきたいコインです。