マリー・ルイーズは、ローマ皇帝フランツ2世とマリア・テレジアの間に生まれ、ジョゼフィーヌ皇后の次にナポレオン1世の妃になった人物です。
幼少からナポレオンという存在に振り回される人生を送り、それはライプツィヒの戦いに敗れ第一帝政が没落するまで続きます。
この記事では、幼少から第一帝政の没落までに焦点を当ててマリー・ルイーズの歴史を解説し、おすすめの金貨を紹介します。
マリー・ルイーズ(パルマ女公)の生い立ちと歴史
父親 | ローマ皇帝フランツ2世 |
母親 | マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン |
配偶者 | ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世) |
アダム・アルベルト・フォン・ナイペルク | |
シャルル・ルネ・ド・ボンベル | |
子供 | ナポレオン2世 |
(ナイペルク伯の子供が複数いる) |
マリー・ルイーズは、ローマ皇帝フランツ2世の娘であり、ナポレオン1世の後妻となり皇后となった人物です。
その生涯から各国でさまざまな呼び方がされており、マリー・ルイーズ、マリー・ルイーゼ、マリア・ルイーザの3つの呼称で呼ばれますがこの記事ではマリー・ルイーズで統一します。
それでは、その歴史を3つの章に分けて解説します。
- ナポレオン1世との望まない結婚
- マリー・ルイーズとジョゼフィーヌ
- ナポレオン第一帝政の没落
ナポレオン1世との望まない結婚
ローマ皇帝フランツ2世とその妻マリア・テレジアから生まれたマリー・ルイーズは、ナポレオンの侵略によってシェーンブルン宮殿を追い出された経験からナポレオン1世に恐怖の感情を持っていました。
幼少の頃はナポレオンという名前を付けた人形をいじめていたといわれており、ジョゼフィーヌと離婚したナポレオン1世が新しい妃を探していることを知ったときには、次に妃になる人に同情し、それが自分でないことを心から祈るという手紙を知人に書いたというエピソードがあります。
1810年、ナポレオン1世は名家との婚姻を切望していたこともあり、ローマ皇帝とオーストリア皇帝であるフランツ2世の由緒正しき家系の娘であるマリー・ルイーズが選ばれました。
望まない結婚ではありましたが、実際に結婚生活を始めるとナポレオンが幼少の頃に抱いた印象とは異なり優しかったことからナポレオン1世を愛するようになったといわれています。
ナポレオン1世も彼女を愛しており、ナポレオン2世の出産の際にどちらかしか助けられないといわれたときは迷わずに母を救えと言ったそうです。
結果的には、嫡子であったナポレオン2世もマリー・ルイーズも無事でした。
マリー・ルイーズとジョゼフィーヌ
ナポレオン1世はマリー・ルイーズと再婚してから戦局が悪化し、没落まで追い込まれたため不幸を呼んだといわれることもあります。
そして、後妻の立場であれば比較されるのは前妻であるジョゼフィーヌです。
マリー・ルイーズはおしとやかでつつましい人柄といわれることが多かったのに対して、ジョゼフィーヌは浪費家で浮気が多く、悪妻という評価を受ける女性です。
離婚も元を辿れば彼女の浮気がもたらした結果ともいえます。
しかし、ジョゼフィーヌはフランス兵士からは幸運の女神と呼ばれるほど人気があり、ナポレオン1世がジョゼフィーヌと離婚するだけで士気が低くなったといわれるほどです。
また、浪費家という側面も服や宝石などを大量に購入したため、商人からは最高の取引先と認識されていました。
マリー・ルイーズと結婚してもフランス兵の士気は上がらず、むしろ実力で皇帝になったナポレオン1世が名家にすがったとも取られ、かつてのブルボン朝を想起させることから怒りを覚える国民もいました。
一方で、ジョゼフィーヌとは異なり倹約家であったマリー・ルイーズは、商人からの評判は非常に悪かったそうです。
よって、当時の状況を考えて比較するなら、前妻であるジョゼフィーヌが皇后のままでよかったという意見が多かったと考えられます。
ジョゼフィーヌ皇后について詳しく知りたい方はこちらの記事をチェックしてください。
ジョゼフィーヌ皇后のおすすめコインとナポレオン1世とのエピソードは?
ナポレオン第一帝政の没落
1812年のロシア遠征の失敗から、ナポレオンによる侵略戦争の状況は悪化していきます。
1813年のライプツィヒの戦いで敗北するとナポレオン1世が島流しにされたことにより、敗北が確定的になりナポレオン2世を連れてオーストリアに出国しました。
ナポレオン1世とは手紙でのやり取りをしていましたが、やり取りの途中で関係が悪化し、1815年にエルバ島を脱出して再び復位してもパリに戻ることはありませんでした。
その後のマリー・ルイーズは、貴族のナイペルク伯とナポレオン2世の他に数人の子供を儲けますが、正式に結婚したのは4人の子供ができた後だったそうです。
しかし、ナイペルク伯も1829年に死亡し、1832年にはナポレオン2世も死亡します。
1834年には、シャルル10世に仕えたシャルル・ルネ・ド・ボンベルと3度目の結婚をしました。
1847年にリューマチ性胸膜炎にかかりその生涯を終えます。
マリー・ルイーズのおすすめ金貨
それでは、マリー・ルイーズのおすすめ金貨を紹介します。
- マリー・ルイーズ 40リレ金貨 1815年
- マリー・ルイーズ ナポレオン・ボナパルト 婚姻記念 金メダル 1810年
マリー・ルイーズ 40リレ金貨 1815年
発行国 | イタリア |
発行年 | 1815年 |
額面 | 40リレ |
グレード | - |
直径 | 26.21mm |
重量 | 12.9g |
品位 | 0.900 |
発行枚数 | 220,000枚 |
状態 | - |
イタリアで発行されたマリー・ルイーズの40リレ金貨になります。
マリー・ルイーズの右向きの肖像が描かれています。
発行枚数は多いですが、発行から年数が経っていることもあり、状態のいい金貨が少ないのが特徴です。
マリー・ルイーズ ナポレオン・ボナパルト 婚姻記念 金メダル 1810年
発行国 | フランス |
発行年 | 1810年 |
額面 | - |
グレード | - |
直径 | 41mm |
重量 | 59g |
品位 | - |
発行枚数 | - |
状態 | - |
婚姻記念に発行されたフランス製の金メダルです。
表面にはナポレオン1世とマリー・ルイーズが並んだ左向き肖像画で、裏面には2人の結婚式の様子が描かれています。
マリー・ルイーズのアンティークコインに関するよくある質問
それでは、マリー・ルイーズのアンティークコインに関するよくある質問をまとめました。
- 希少性が高いマリー・ルイーズの金貨を買うには?
- マリー・ルイーズの金貨を高く売る方法は?
それぞれ詳しく解説します。
希少性が高いマリー・ルイーズの金貨を買うには?
マリー・ルイーズの金貨は、発行枚数が多いものの200年以上前に発行されたことから状態のいい金貨が少ないのが現状です。
よって、信頼できる業者を通して購入することをおすすめしますが、その上で実際に状態を確認するためにコインの下見ができる取引先を選ぶとよいでしょう。
コインの下見が可能であり、外国貨幣評価書などにもとづき、相場に沿った価格でコインを提供しているアンティークコイン業者には当サイトの「コインライブラリー・プリンシパル」があります。
マリー・ルイーズの金貨を高く売る方法は?
マリー・ルイーズの金貨を少しでも高く売る場合も、信頼できる業者を通して売却するのがよいでしょう。
当サイトではコインの鑑定・買取も行っており、こちらのサイトに金貨を出品することもできます。
売却や出品を検討するなら、こちらのページからお問い合わせをお願いします。
まとめ
マリー・ルイーズは、最終的にはナポレオンの呪縛から逃れられたものの、時代に呑まれた被害者でもあり、同情されることも多い人物です。
望まない政略結婚が珍しい時代ではありませんでしたが、よりによって最も嫌いな人物から結婚を迫られたのですから、悲劇のヒロインとして物語が作られるほどです。
このような生涯を送ったマリー・ルイーズのアンティークコインは現在では希少価値が増しており、資産防衛に適した金貨となっています。