メアリー1世(座位1553-1558)は、ヘンリー八世とキャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれた、イングランドとアイルランドの女王です。
宗教の違いで、大勢のプロテスタントを処刑したことから、ブラッディメアリーとも呼ばれています。
この記事では、メアリー1世の稀少な硬貨を紹介し、ブラッディメアリーと呼ばれるようになった経緯についても詳しく紹介いたします。
メアリー1世の生い立ちと歴史
画像引用:https://www.royal.uk/mary-i
父親 | ヘンリー八世 |
母親 | キャサリン・オブ・アラゴン |
配偶者 | スペイン王フェリペ二世 |
王朝 | テューダー朝 |
家名 | テューダー家 |
メアリー1世はヘンリー八世とキャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれた長女です。
王家の生まれの身分ではありますが、その人生は決して華やかではなく、数々の悲劇が彼女を襲いました。
なぜブラッディメアリーと呼ばれるようになったのか、またその経緯、悲劇について解説します。
- メアリー1世の誕生
- 身分の剥奪
- “ブラッディメアリー”へ
- メアリー1世の晩年
- 近年でのメアリー1世の評価
メアリー1世の誕生
メアリー1世は1516年2月18日、イングランド王国のプラセンティア宮殿でヘンリー八世とキャサリン・オブ・アラゴンの間に生まれます。
これまで、キャサリン・オブ・アラゴンは死産を繰り返しており、健康に誕生したのはメアリー1世が初でした。待ち焦がれていた健康な子供の誕生に、父親のヘンリー八世は女子であっても王位継承の世継ぎとみなすことを宣言し、キャサリンはメアリーが幼いころから君主としての教育を開始します。
1519年、メアリーにプリンセス・オブ・ウェールズの称号が与えられます。この称号は、プリンス・オブ・ウェールズの妃に対して与えられる称号であり、ウェールズの君主の妃を意味します。
幼いころから君主としての教育が施されていたことから、ヘンリー八世はメアリーの結婚相手にふさわしい名家の男子を探していました。しかし、何度も婚約をしました結果、すべて破談してしまい、失敗に終わります。
身分の剥奪
これまでのメアリー1世は、両親に手厚い教育で育てられて、不自由とは縁の遠い生涯を過ごしてきました。しかし、1557年、メアリーはまだ幼い9歳の頃、転機が訪れます。メアリーの父親、ヘンリー八世はメアリーを溺愛していたものの、やはり男児の出産を望んでいたことがきっかけでした。
かねてより愛妾として関係を持っていたアン・ブーリンと結婚しようとしたのです。当時のイングランドはカトリックを信仰していたのですが、カトリックは離婚ができない決まりがありました。そのため、重婚もできないことから再婚は不可能と思われたのですが、ヘンリーは、そもそもキャサリンとの結婚が無効だったと宣言し、強引にアンと結婚を果たしました。
また、このころからヘンリー八世は宗教改革を実施し始め、カトリック教の教えに従わず、宗教よりも国王の命令を聞く、国王至上法などを発布していきます。この宗教改革が、後にメアリーをブラッディメアリーに仕立てあげる要因となってしまうのです。
この一件は、キャサリンのみならずメアリーにも大きな影響を与えました。キャサリンが王妃の座を奪われたので、必然的にメアリーの立場もなくなります。メアリーは、世継ぎの位から庶子となってしまい、身分が大転落してしまいました。
その後、アンとヘンリーとの間に子供が生まれます。彼女がエリザベス、第二王女でした。このエリザベスは、メアリーよりも身分が上です。そこで、アンは嫌がらせにメアリーにエリザベスに服従するように言い渡します。しかし、メアリーはその言いつけを拒否し、従いませんでした。
しかし、アンはその後、ヘンリーにより処刑されてしまいます。アンの後も王妃は処刑されていき、ヘンリーの晩年に王妃となったキャサリン・パーにより、メアリーは王位を復権させてもらえる運びとなり、王位継承権を得ます。
“ブラッディメアリー”へ
その翌年、ヘンリーは亡くなります。ヘンリーには息子のエドワード六世がいましたが、15歳という若さで亡くなってしまいます。これにより、メアリーは正式に王位を継承しました。
ですが、メアリーは当時宮廷にあまり姿を見せていませんでした。それは、エドワードはメアリーにカトリックの信仰をやめるよう言い聞かせていたからです。宮廷にいないことでまた王位継承の立場が幼少期と同様に危ういものとなってしまいます。さらに、エドワードは生前、ヘンリーの妹の孫にあたるジェーン・グレイに王位を継承させようとたくらんでいました。
その後、ジェーン・グレイは王位継承の宣言をしますが、それとほぼ同タイミングでメアリーも即位を宣言します。その結果、メアリーには支持者が集まり、ジェーン・グレイ率いる軍隊と衝突。この戦いでメアリーは勝利します。
そしてようやく、メアリーは正式にメアリー1世として女王の地位に就くことができました。
女王となったメアリーの心は、位は変われどカトリック教徒そのものでした。そこで、ヘンリーが行った宗教改革を撤廃し、イングランドをカトリックの国に戻す、宗教政策を行います。
これは、ヘンリーの宗教改革によって居場所がなかったカトリック教の教徒にとっては喜ばしいことでした。しかし、国全体をカトリック教に染め上げるにあたって、メアリーは国内に残っているプロテスタントを処刑し始めます。その数はおよそ300人といわれています。さらに、その中には子供も含まれていました。この一件により、メアリー1世は、ブラッディメアリーと呼ばれるようになってしまったのです。
メアリー1世の晩年
そんな強引ともいえる宗教政策を行ったメアリー1世はスペイン王フェリペ二世と結婚します。この結婚は反対されていましたが、それを押し切った形での結婚でした。これにより、イングランドはフランスとスペインの間で勃発した、第六次イタリア戦争に巻き込まれてしまいまい、大陸で唯一の領土である、カレーを失ってしまいます。
そしてついに、1558年11月17日、メアリー1世はセントジェームズ宮殿で息を引き取ります。この日は国民にとって圧政から解放された記念日として、200年近く祝われることとなりました。
近年でのメアリー1世の評価
ここまでメアリー1世の紹介をしてきました。メアリー1世は最終的に宗教上の理由で、国民を処刑してしまいました。また、戦争により領土を失い、国にとって大損害を残した、憎まれる存在として今までは扱われてきました。しかし、近年ではメアリーの評価は変わってきています。
その理由ですが、ここまで読んでくださった読者の方は理解していただけると思われますが、メアリー1世は幼少期は過酷な日々を過ごしてきました。そのことから、大人になって権力を得た際に非常な選択をしてしまいます。それは、決して許されることではないのは火を見るよりも明らかなことです。
しかし、その幼少期の日々はメアリー自身の選択によって引き起こされたのではなく、メアリーの親であるヘンリーによるものでしたね。確かに処刑など、実行に移ったのはメアリーですが、その元凶はヘンリーにあります。宗教のこじれもヘンリーが宗教改革を施した過去がありました。
こういったヘンリーの行為も鑑みると、メアリーだけを責めるのは浅はかともいえるのではないだろうか、という見方が多くなり、近年ではメアリーの評価が変わっています。
メアリー1世の希少性の高いメダル
圧政により、多くの国民を苦しませたメアリー1世ですが、そんな彼女の稀少性の高いコインを紹介します。メアリー1世が単独で映ったコインが主です。
しかし、なかにはフェリペ二世と共に映ったコインも存在します。フェリペ二世との結婚は、結果的に失敗に終わりましたが、現代では稀少性のあるコインです。
メアリー1世は、ブラッディメアリーと呼ばれるほどの人物でしたが、メアリーのコインはそれを忘れさせてしまうほど美しいコインです。そんなメアリー1世のコインを紹介いたします。
- メアリー1世 フェリペ2世 シリング 1554-1555年
- メアリー1世 旧ソブリン金貨
- メアリー1世イングランド女王 1グロート銀貨
メアリー1世 フェリペ2世 シリング 1554-1555年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1554~1555年 |
額面 | シリング |
グレード | - |
直径 | - |
重量 | 6.20g |
品位 | 銀 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | 不明 |
こちらのコインは、メアリー1世とフェリペ二世の二人が描かれたコインです。
発行年数からわかるように、1年しか発行されていないことから希少性は高く、非常に高値で取引されています。
また、裏面には4分割の紋章を描いた盾が描いてあります。
メアリー1世 旧ソブリン金貨
発行国 | イギリス |
発行年 | 1553年~ |
額面 | - |
グレード | - |
直径 | 22mm |
重量 | およそ7.9g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
続きましてこちらのコインは、旧ソブリン金貨のメアリー1世の仕様のものです。
このコインのソブリンという単語の意味は、当時は天使が描かれたエンゼル金貨が流通していまいた。しかしその後、王座に座る国王が描かれた通貨が描かれたため、ソブリン金貨が出来上がりました。このソブリンは、君主という意味です。
ソブリン金貨は、年代によって描かれている人物が違うのも特徴の一つといえます。
メアリー1世イングランド女王 1グロート銀貨
発行国 | イギリス |
発行年 | 1553~1554年 |
額面 | - |
グレード | - |
直径 | 不明 |
重量 | 不明 |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
最後にこちらはメアリー1世のグロート銀貨のコインです。
こちらのコインは、メアリー1世が統治していた1553~1554年に発行されたデザインのものとなっております。
こういった人物の顔が描かれているデザインのコインは、コレクターの中で人気が高く、希少性のほかにもこういう面で価値がつくこともあります。
メアリー1世のアンティークコインに関するよくある質問
メアリー1世のアンティークコインに対して、多く寄せられる質問の中から二点、挙げさせていただきました。
- メアリー1世のアンティークコインを買うおすすめの場所は?
- メアリー1世のアンティークコインを高く売るには?また買い取り価格を知るには?
メアリー1世のアンティークコインを買うおすすめの場所は?
メアリー1世のアンティークコインの価値は、そのコインの稀少性だけでなく、状態も考慮されたうえで価値が決まります。
また、状態のほかにも製造年や発行時期など、価値を決める基準は非常に多く、個人で価値を見極めることは困難を極めます。
実際に見ても難しいですが、ネットで購入するとなるとさらに難易度は増し、精通している人でも難しいでしょう。
とくに初心者の方は、自分だけで価値を判断せずに信頼できる業者に選定を頼んでしまうのがおすすめです。
多くの業者がいますが、特に「コインライブラリー・プリンシパル」は、外国貨幣評価書、オークションログなど確実なソースを使用したうえでコインを販売しています。
もちろん、業者に頼まずに自力で買うのもいいのですが、信頼できる業者に頼んでしまうのも一考してみる価値はあるかと思われます。
メアリー1世のアンティークコインを高く売るには?また買い取り価格を知るには?
メアリー1世のアンティークコインをお持ちの方で売却を検討されている方も中にはいらっしゃるかと思われます。
先に紹介した「コインライブラリープリンシパル」は、コインの売却も承っております。
鑑定から買取までお任せいただくことが可能で、可能な限り高値で取引いたします。
コインの出品まで可能ですので、こちらのページも併せて参考にしてください。
まとめ
ブラッディメアリーと呼ばれ、残虐な女王として有名になってしまったメアリー1世。しかし、その一生を見てみると彼女は好んでそうなったのではなく、ヘンリー八世をはじめとした、周りが彼女を変えてしまったと言えます。彼女だけを責めることはできないのではないでしょうか。
ブラッディメアリーと呼ばれている彼女ですが、現代にまでアンティークコインとして存在しています。コインの絵柄からその人物の成してきた功績について調べてみるのもアンティークコインの魅力の一つといえるでしょう。また、メアリーが映ったコインは、美しい上に希少価値も高いのも特徴です。功績などの楽しみもありますが、資産としての価値も十分にあります。
コレクションとしても、投資の対象としてもメアリー1世のコインを所有されてみてはいかがでしょうか。