フェリペ皇太子(フェリペ2世在位:1556-1598)は全盛期のスペイン帝国に君臨した国王ですが、イングランドの歴史にも関わっており、メアリー1世の夫で共同統治者という立場にありました。
メアリー1世との世継ぎを残すことで、イングランドを支配することを企みますが、その計画は失敗に終わり、以降はエリザベス1世の統治によりイングランドは黄金期を迎えることになります。
この記事では、フェリペ皇太子の金貨・銀貨を3つ紹介し、その歴史をイングランドとの関りに焦点を当てて解説します。
フェリペ皇太子(フェリペ2世)の生い立ちと歴史
Sofonisba Anguissolaによる肖像
父親 | カルロス1世 |
母親 | イサベル・デ・ポルトゥガル |
配偶者 | マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル |
メアリー1世 | |
エリザベート・ド・ヴァロワ | |
アンナ・フォン・エスターライヒ | |
王朝 | スペイン・ハプスブルク朝 |
家名 | ハプスブルク家 |
子供 | こちらを参照 |
メアリー1世は、皇太子時代のフェリペ2世と結婚していますが、結婚中に即位し子を儲けないまま逝去しています。
今回は、フェリペ皇太子の生い立ちと歴史についてメアリー1世との関係やイングランドとの関りについて焦点を当てて解説します。
- フェリペ皇太子の誕生
- メアリー1世との結婚
- フェリペ2世の婚姻関係と家族について
フェリペ皇太子の誕生
1527年、フェリペ皇太子は神聖ローマ皇帝カール5世(カルロス1世)とポルトガル王マヌエル1世の娘であるイザベルの間に生まれました。
当時のスペインは太陽の沈まない国といわれるほど反映しており、現在のフィリピンの語源は、当時アストゥリアス公であったフェリペの名前に由来するほど強い影響力を持っていました。
また、ハプスブルク家は、フェリペ皇太子が生まれた代でスペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分家しています。
スペインの最盛期とも呼ばれる時代に生きたフェリペ皇太子ですが、王女マリア・マヌエラと結婚するも長男のドン・カルロスを儲けたのと同時に死亡します。
メアリー1世との結婚
画像引用:https://www.royal.uk/mary-i
フェリペ皇太子は妻を亡くしてからしばらくは独り身になりますが、父カール5世はイングランド女王との政略結婚により、イングランドを支配することを指示します。
1554年にフェリペ皇太子はメアリー1世と結婚し、共同統治者としてイングランド王フィリップ1世となりました。
当時、フェリペ皇太子は27歳で、メアリー1世は11歳年上でした。
メアリー1世も国内で進めている親カトリック政策の後ろ盾にする目的があったため、互いに利害が一致している政略結婚です。
しかし、メアリー1世はフェリペ皇太子を愛しており、一方でフェリペ皇太子は年齢が離れ話の合わないメアリー1世に愛情を向けることはなかったといわれています。
フェリペ皇太子はイングランドを世襲するために世継ぎを遺すという共通の目的のために役割を果たそうとします。
その後、メアリー1世の懐妊が発表されるのですが、それは想像妊娠であり、お腹が膨張した理由は腫瘍でした。
40近い年齢になるメアリー1世との間に子を成すことができないことを悟ると、フェリペ皇太子は1556年に即位のためにスペインに帰国しフェリペ2世に即位します。
このまま別居状態になり1度だけ再訪していますが、その理由はメアリー1世の自分への気持ちを利用してフランスとの戦争における援軍と資金援助の要請をするためでした。
1558年メアリー1世は死亡し、フェリペは翌年の1559年にフランス王アンリ2世の長女エリザベート・ド・ヴァロワと結婚しました。
フェリペ2世とエリザベス1世
メアリー1世との子を成しその子供が成長して王になれば、その後のイギリス王室の歴史が変わるのはもちろんですが、フェリペはメアリー1世との子が成せないと分かった時点である人物に結婚を申し込んでいます。
それがメアリー1世の次に女王になるエリザベス1世であり、申し出を断られた後にも戴冠式の花婿候補に名乗りを上げましたが「カトリックとは結婚しません」といわれ断られました。
エリザベス1世は、イングランドをより強国にする治世を行い、海賊行為を奨励し、後にフランシス・ドレイクにより、スペイン船に略奪行為を仕掛けています。
しかし、1つボタンを掛け違えば現在のイギリス史は大きく変わっていたかもしれませんね。
フェリペ2世の婚姻関係と家族について
エリザベート・ド・ヴァロワと結婚したフェリペ2世ですが、3人目の妻は毒で死亡し、フェリペ2世が毒殺したのではないかという説がありますがその真偽は不明です。
1568年にアナ・デ・アウストリアと結婚し、間には後のフェリペ3世が生まれますが、伝染病で1580年に死亡しています。
フェリペ2世自身は1598年に逝去していますが、フェリペ2世の子供について下記にまとめました。
マリア・マヌエラとの子供 | ドン・カルロス |
エリザベート・ド・ヴァロワとの子供 | イサベル・クララ・エウヘニア |
カタリーナ・ミカエラ | |
アナ・デ・アウストリアとの子供 | フェルナンド |
ディエゴ | |
フェリペ3世 |
アナ・デ・アウストリアとの子供のうち2人は生まれてすぐに亡くなっており、ドン・カルロスは父フェリペ2世に反逆したことで牢死しており、フェルナンド、ディエゴも長くは生きられなかったため、末子であるフェリペ3世が王位を継ぐこととなります。
フェリペ皇太子のおすすめ金貨・銀貨
フェリペ皇太子のアンティークコインは、フェリペ2世に即位した際に発行した3種類の金貨・銀貨があるのでそれぞれ紹介します。
- フェリペ2世 レアルドール金貨 1555年〜1576年
- フェリペ2世 4エスクード金貨 1556~1598年
- フェリペ2世 8レアル銀貨 1590年
フェリペ2世 レアルドール金貨 1555年〜1576年
発行国 | スペイン |
発行年 | 1555年〜1576年 |
額面 | 1レアル |
グレード | - |
直径 | 27mm |
重量 | 5.31 g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
フェリペ2世の時代に発行されたアンティークコインは、必ずしも本人の肖像が描かれたものが発行されているわけではありません。
こちらの金貨はフェリペ本人の肖像が描かれたコインであり、他のコインと比較しても人気の高いものとなっています。
表面は冠を被ったフェリペ2世の右向き肖像、裏面はスペインの国章である盾が描かれています。
フェリペ2世 4エスクード金貨 1556~1598年
発行国 | スペイン |
発行年 | 1556~1598年 |
額面 | 4エスクード |
グレード | - |
直径 | 29mm |
重量 | 13.45 g |
品位 | 0.917 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
こちらの金貨はフェリペ2世の時代に発行されたコインですが肖像はなく、歪な形をしていると感じた方も多いことでしょう。
このような貨幣のことをコブ・マネーと呼び、金銀を棒状にして輪切りにする形で製造されますが、重量を統一するためにコインの周囲を切って帳尻を合わせる方法をとったそうです。
あくまで重量を統一する上で生産効率を重視した製造方法であるため、現在では希少性はありますが、デザイン性に欠けることから人気は低く価値が高まりにくいかもしれません。
十字の紋章と盾の紋章が描かれた金貨ですが、状態がよく形が整っており文字や紋章が綺麗に残っているかどうかで価値が大きく変わります。
フェリペ2世 8レアル銀貨 1590年
発行国 | スペイン |
発行年 | 1590年 |
額面 | 8レアル |
グレード | - |
直径 | 41mm |
重量 | 27.5 g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
金貨と同様にこちらも当時のスペインで発行されたコブ・マネーです。
正確な発行枚数は分かっていませんが、銀貨は金貨よりも発行枚数が多いことから、状態もよく形も綺麗に整ったコインが市場に流通することもあります。
スペインで発行されたアンティークコインについて詳しく知りたい方はこちらの記事もチェックしてください。
フェリペ皇太子のアンティークコインでよくある質問
それでは、フェリペ皇太子のアンティークコインでよくある質問をまとめました。
- 希少性の高いフェリペ皇太子の金貨・銀貨を購入する方法は?
- フェリペ皇太子のレア度の高いコインを高く売るには?
希少性の高いフェリペ皇太子の金貨・銀貨を購入する方法は?
フェリペ皇太子(フェリペ2世)のコインは、あまり市場には流通せず、コブ・マネーが販売されることもありますが、状態のいいものは希少です。
コインを購入する場合は、販売元の素性が分からないオークションサイトを利用するのではなく、信頼できるコイン業者から購入することをおすすめします。
コインを扱うにあたっては金庫への保管を前提した徹底された管理でコインの状態が保つことが基本ですが、個人も出品できるオークションサイトで販売されるコインはどのように管理されているのか明らかにされていないこともあります。
その他にも相場以上の価格で購入してしまう場合や、偽物を売りつけられるなどのリスクも考えられるので、コイン初心者の方は信頼できるコイン業者を通して購入するのがよいでしょう。
フェリペ皇太子のレア度の高いコインを高く売るには?
レア度の高いフェリペ皇太子のコインや、イングランド・スペインなど世界のコインを幅広く買取を受け付けているコイン業者には「コインライブラリー・プリンシパル」があります。
コインの鑑定がお済でない場合も鑑定からサポートし、高価買取を実地中です。
当サイトにコインを出品することもできるので、詳しくはこちらのページをチェックしてください。
まとめ
フェリペ皇太子はブラッディメアリ―とも呼ばれたメアリー1世の夫になり、彼女から愛されていたことから、メアリー1世が子供を授かることができれば、後のイギリスの歴史は大きく変わっていたことでしょう。
沈まぬ太陽とまで呼ばれたスペインの黄金時代を統治したフェリペ2世ですが、彼の死が近づくと共に全盛期とも呼べる時代は終わりを告げようとしていました。
スペインの衰退、イングランド黄金期の始まりのすべてに関わったこの時代を象徴する君主といえるでしょう。