メアリ―王妃はジョージ5世の配偶者であり、後に国王となるジョージ6世とエドワード8世の母親でもあります。
幼少の頃は諸外国を転々とする日々を送りますが、その経験を活かしてジョージ5世を支え、王太后になってからもイギリス王室で大きな影響力を持った人物です。
この記事では希少価値が高いメアリー王妃のアンティークコインを紹介し、幼少から王妃、王太后時代も含めた歴史を解説します。
メアリー王妃の生い立ちと歴史
画像引用:https://www.historyextra.com/
まずは、メアリー王妃の家族構成について見ていきましょう。
配偶者 | ジョージ5世 |
王朝 | ウィンザー朝 |
家名 | ウィンザー家 |
子供 | エドワード8世 |
ジョージ6世 | |
メアリー王女 | |
ヘンリー王子 | |
ジョージ王子 | |
ジョン王子 |
フランツ・フォン・テックとメアリー・アデレードの間に生まれ、ジョージ5世と結婚すると6人の子供をもうけます。
メアリー王妃の歴史を5つの章に分けて解説します。
- メアリーの誕生
- ジョージ5世との結婚
- ジョージ5世が即位し、王妃となる
- 第一次世界大戦でウィンザー家に改名
- 大戦終了後、王太后となる
メアリーの誕生
かつてドイツ南部を統治したヴュルテンベルク王国の国王であるフリードリヒ1世の弟の孫であるフランツ・フォン・テックとジョージ3世の七男の次女であるメアリー・アデレードとの間に生を受けます。
名付け親はヴィクトリア女王であり、ファーストネームのヴィクトリアを直々に与えられました。
由緒ある家庭ではありますが、実際のところは裕福ではなく借金もしていたようです。
そのため、イギリスよりも物価が安い諸外国を転々とする生活をメアリーは送っていました。
イタリアのフィレンツェに住んでいた時期もあり、現地の美術館や教会にも訪れたことで、芸術に興味を持つようになります。
ジョージ5世との結婚
ヴィクトリア女王の配慮のおかげで、1885年にメアリーはイギリスに戻ることができました。
将来的に国王になるといわれていたアルバート・ヴィクターと婚約しますが、1892年に急逝したことで婚前未亡人となります。
その後、弟のジョージ・フレデリック(ジョージ5世)の即位が確実となると、ヴィクトリア女王はメアリーこそが王妃にふさわしいと考えていたため、ジョージ5世はメアリーに求婚しこれを承諾することとなりました。
ジョージ5世が即位し、王妃となる
1901年にヴィクトリア女王が崩御するとエドワード7世が即位しますが、1910年にエドワード7世も崩御し、ジョージ5世が即位することとなります。
1911年に戴冠式を執り行い、翌年ではインドにも訪問してデリーで戴冠式を執り行いました
メアリ―は諸外国を転々とした経歴から外国語が堪能であり、ジョージ5世は外国語や外交が苦手であったため、外交面において大きく支えたといわれています。
しかし、1910年代は世界情勢が大きく揺れる戦乱の時代でもありました。
第一次世界大戦でウィンザー家に改名
1914年に第一次世界大戦が開戦し、イギリスはドイツに宣戦布告します。
戦争のためにドイツ由来の家名を捨てて、ウィンザー朝に改名することで王室は国民感情を悪化させないように努めました。
メアリ―とジョージ5世は戦争をきっかけにウィンザー家を名乗り、夫妻が共に国民に尽くす姿は多くの支持を集めます。
大戦終了後、王太后となる
第一次世界大戦の終了後、ジョージ5世の体調は悪化し、1936年に崩御したことで長男のエドワード8世が即位し、王太后となりました。
ジョージ5世の死後も王室に対する影響力は強く、エドワード8世が既婚者との結婚が認められず退位を選択したのもメアリーの影響が大きかったといわれています。
王室の品位を下げる行動には厳しい一面もありましたが、吃音症を患っていたジョージ6世が次代の国王にふさわしくないといった国民の意見に対しては強気な姿勢で対応しており、自身の子供たちを守ってきました。
未亡人となった王妃は新王の戴冠式には出席しないという王家においては暗黙の了解とも呼べる決まりがありましたが、それを破って息子ジョージ6世の戴冠式に出席したのは有名なエピソードです。
しかし、1952年にはジョージ6世が崩御し、エリザベス2世が即位するとメアリーは太王太后という立場になりました。
息子のジョージ6世を失ったメアリーの喪失感は計り知れないものであり、哀しみを抱えたまま翌年の1953年に85歳で崩御します。
メアリ―は王妃時代は穏やかで真面目な人物であったジョージ5世を最期まで支え、王太后となった後もジョージ6世をはじめとする子供たちと王室の品位を最期まで守り続けた厳格な人物でした。
希少性の高いメアリー王妃のコイン
メアリー王妃の描かれたコインは非常に希少性が高いです。
なぜなら、ジョージ5世の戴冠記念に作られたメダル以外に、主なアンティークコインが存在しないからです。
しかし、メアリー王妃は長きに渡って王室を支えた人物であり、イギリス王室の歴史になくてはならない人物になります。
この功績を称え崩御した1953年を起点に、死去〇〇年などを記念した新たなコインが作られる可能性があるといえるでしょう。
現在紹介できるコインは1種類のみになりますが、今後新たに作られる可能性もあるということを踏まえた上で紹介します。
ジョージ5世 戴冠記念金メダル 1911年
発行国 | イギリス(ロイヤルミント) |
発行年 | 1911年 |
額面 | - |
グレード | PF UNC |
直径 | 51mm |
重量 | 86.3g |
品位 | 不明 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | 完全未使用 |
戴冠記念に作られた表面はジョージ5世、裏面はメアリー王妃の左向き肖像画が書かれたメダルのコインになります。
肖像画の作者はバートラム・マッケンナルであり、ジョージ5世の胸元にBMと刻印されているのが特徴です。
正確な発行枚数は分かりませんが、500枚以内であると考えられています
ロイヤルミントで作られた希少価値の高い、メダルであっても高い資産価値を持ちます。
メアリー王妃のアンティークコインでよくある質問
それでは、メアリー王妃のアンティークコインでよくある質問をまとめました。
- レア度の高いメアリーのコインはどうやって入手できる?
- メアリーのコインをできる限り高く売るには?
レア度の高いメアリー王妃のコインはどうやって入手できる?
現状、メアリー王妃が描かれたコインの種類が少なすぎるため、確実に入手する方法は存在しません。
今回紹介したコインは当社で過去に取り扱いのあったコインになりますが、購入は早い者勝ちとなるので現在も取り扱いがあるかどうかは保証できません。
ご興味がある場合は「コインライブラリー・プリンシパル」から探していただくか、お問い合わせフォームから在庫の確認をお願いします。
また、現在取り扱いがない場合でも、新たにメアリー王妃のコインを取り扱う可能性もありますので、定期的に当サイトをチェックすることをおすすめいたします。
メアリー王妃のコインをできる限り高く売るには?
メアリー王妃のコインを保有している方は、オークションなどでは正しい相場が形成されていない可能性が高いので、信頼できる業者に売却を依頼するのが高価買取のコツです。
「コインライブラリー・プリンシパル」では、アンティークコインの鑑定・買取も実施しており、適正な価格で可能な限り迅速に現金化いたします。
メアリ―王妃以外のアンティークコインの買取もおこなっていますので、気軽にお問い合わせください。
まとめ
メアリ―王妃の歴史と作られているアンティークコインの現状について解説しました。
イギリス王室の品位を下げることを許さず、最後まで子供たちを愛したメアリー王妃は、王室の歴史の中でも人気のある王妃の一人です。
発行されたアンティークコインは非常に少ないですが、入手できる機会があれば逃さず保有してみましょう。