ウィリアム3世(在位1650-1702)はオラニエ公としてオランダ総督をしていましたが、イングランドの内部事情によってイングランド王に即位した人物です。
メアリー2世はジェームズ2世の娘であり、ウィリアム3世と結婚していたことから共同統治者となりました。
この記事ではウィリアム3世のおすすめコインを紹介し、オランダ総督からイングランド王に即位するまでの流れを解説します。
ウィリアム3世(オラニエ公)の生い立ちと歴史
父親 | オラニエ公ウィレム2世 |
母親 | メアリー・ヘンリエッタ・ステュアート |
配偶者 | メアリー2世 |
王朝 | ステュアート朝 |
家名 | オラニエ・ナッサウ家 |
ウィリアム3世(オランダ名:ウィレム3世)は、チャールズ1世の娘であるメアリー・ヘンリエッタ・ステュアートの息子であり、家名はオラニエ・ナッサウ家ですが、ステュアート朝の国王の一人でもあります。
ウィリアム3世の生い立ちと歴史をまとめました。
- ウィリアム3世の誕生
- オランダ総督時代
- メアリー2世との結婚
- 妻と共にイングランド王に即位
- 2人の共同統治者の崩御
ウィリアム3世の誕生
1650年、ウィリアム3世はオラニエ公ウィレム2世とチャールズ1世の王女メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートの間に生まれました。
2人の間に他に子はなく一人息子でしたが、オランダ総督であった父はウィリアム3世が生まれる前に亡くなっていました。
ウィリアム3世のオラニエ・ナッサウ家はオランダでも最有力の貴族でしたが、すぐにオランダ総督になることはありませんでした。
オランダ総督ウィレム3世の就任は、ヨハン・デ・ウィットをはじめとする共和派が反対したからです。
母メアリーとウィリアム3世は遠ざけられ、共和政府に引き取られることとなります。
その後、母と再び会うことはありませんでした。ウィリアム3世は祖母によって育てられ、教育は共和政府の指示によるものでした。
オランダ総督時代
共和政の発言力が弱まったのは、フランスのオランダ侵略戦争のときであり、このとき共和政の打倒とオランダ総督ウィレム3世の就任を国民が求めました。
1672年に即位した翌年にウィリアム3世はオーストリアとスペインと同盟を結び、徹底抗戦を貫いたことでフランス軍を撤退させました。
戦争はスペインのネーデルラントに移りますが、敗北を繰り返しながらも同盟により戦況を優位に進め、ナイメーヘンの和約により仏蘭戦争は講和となります。
オランダ総督ウィレム3世が英雄視されたのはもちろんですが、プロテスタントであったことから、このときからプロテスタントの英雄としても見られるようになりました。
メアリー2世との結婚
ウィリアム3世とメアリー2世の肖像
1677年、チャールズ2世の弟のジェームズ2世の娘であるメアリー2世と結婚しました。
メアリー2世はカトリックの父と後にカトリックに改宗するプロテスタントの母アン・ハイドの間に生まれますが、チャールズ2世の助言によりプロテスタントとして育てられます。
チャールズ2世の勧めで2人は結婚しますが、実質的には従兄妹同士の結婚であったものの、両国にも第三次英蘭戦争のわだかまりがあることから、この結婚を歓迎するものばかりではありませんでした。
円満な政略結婚とはいえず、夫婦仲は悪かったといわれていますが、年月が経つにつれて関係の改善ができた夫婦であったといわれています。
妻と共にイングランド王に即位
ジェームズ2世
1685年にチャールズ2世が亡くなり、カトリックであるジェームズ2世が国王に即位すると次第にイングランド内でのカトリック反対派からの不満が高まります。
議会はジェームズ2世の追放を選び、王位継承権を持つメアリー2世とその夫のウィリアム3世を国内に呼ぶことを決めました。
1688年、ウィリアム3世はオランダ軍を率いてイングランドに上陸、このときジェームズ2世の部下たちが次々と裏切り、誰の血も流れることなく体制が変わったことからこの出来事を名誉革命と名付けました。
ジェームズ2世はウィリアム3世の敵であるルイ14世を頼り亡命し、1689年、ウィリアム3世とメアリー2世は共同統治者としてイングランド王・スコットランド王・アイルランド王に即位します。
このとき国王夫妻は、議会から提出された権利の証言を認め、権利の章典が公布されました。
国王をトップとして、議会や国民の権利を保証したものであり、現在のイギリスにおける立憲君主制の原点となります。
2人の共同統治者の崩御
1694年、メアリー2世は天然痘で没したため、ウィリアム3世が崩御するまで単独政治となります。
2人の間には子供が生まれなかったことから、後継者はメアリー2世の妹であるアン女王に決まりました。
1702年、ハンプトン・コート宮殿の乗馬中の落馬事故により重体になり崩御しました。
ウィリアム3世は、イングランド王としての世継ぎだけではなく、オラニエ・ナッサウ家における世継ぎ問題もありました。
ヨハン・ウィレム・フリーゾが相続人として指名されていましたが、プロイセン王フリードリヒ1世も相続権を主張をし、この相続争いはヨハンの息子の代まで続いたそうです。
現代におけるウィリアム3世の歴史的見解
現代では名誉革命に対して宮廷内のクーデターに過ぎないという意見や、オランダによるイングランド侵略という考え方もあります。
一方で、カトリックであることから一方的に悪者にされてきたジェームズ2世の評価を見直す動きも出ているのです。
このような意見が出る理由は、歴史を振り返ったときにウィリアム3世の行動がイギリスとオランダに必ずしもプラスに作用していないことが指摘されるようになったことが挙げられます。
ウィリアム3世の即位は必ずしも正しかったと肯定されるものではありませんが、立憲君主制の原点となった権利の章典を公布したことから歴史の転換点となる国王であったことは間違いありません。
ウィリアム3世のおすすめ金貨3選
それでは、ウィリアム3世のおすすめ金貨を3つ紹介します。
- ウィリアム3世 5ギニー金貨 1701年
- ウィリアム3世 1ギニー金貨 1695年
- ウィリアム3世 メアリー2世 5ギニー金貨 1692年
ウィリアム3世 5ギニー金貨 1701年(ファインワーク)
発行国 | イギリス |
発行年 | 1701年 |
額面 | 5ギニー |
グレード | AU58 |
直径 | 36mm |
重量 | 41g |
品位 | .917 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | EF(準未使用) |
ウィリアム3世のコインは、共同統治者であるメアリー2世と共に描かれたものと、上記のようにウィリアム3世が単独で描かれたものがあります。
メアリー2世が崩御した1694年以降に発行された金貨が単独肖像であり、そのなかでも1701年製の金貨はファインワークと呼ばれ、イギリスの5ギニー金貨史上、最も出来が良かったとされています。
特に立体感が美しく、アメリカコインのハイレリーフのようなコインであることから、人気・デザイン・希少性共に兼ね揃えた家宝にしたいアンティークコインです。
ウィリアム3世 1ギニー金貨 1695年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1695年 |
額面 | 1ギニー |
グレード | Genuine |
直径 | 25mm |
重量 | 16g |
品位 | .917 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | EF+(極美品) |
先ほど紹介した5ギニー金貨と同様にウィリアム3世が描かれた1ギニー金貨であり、単独政治になった翌年に発行されています。
表面にはウィリアム3世の右向き肖像、裏面にはイングランド、スコットランド、アイルランド、フランスの国章が彫られた盾が描かれていますが、中央部にはオラニエ・ナッサウ家のライオンの紋章があります。
ウィリアム3世 メアリー2世 5ギニー金貨 1692年
発行国 | イギリス |
発行年 | 1692年 |
額面 | 5ギニー |
グレード | - |
直径 | 36mm |
重量 | 41g |
品位 | .917 |
発行枚数 | 不明 |
状態 | - |
ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治の時代に発行された金貨がこちらの5ギニー金貨です。
手前がウィリアム3世で奥側がメアリー2世の肖像になります。
裏面の盾の紋章も共同統治時代と単独統治時代では異なっていますが、どちらも4つの国の国章とオラニエ・ナッサウ家の紋章が描かれています。
ウィリアム3世のアンティークコインに関するよくある質問
最後に、ウィリアム3世のアンティークコインに関するよくある質問をまとめました。
- 希少性の高いウィリアム3世のコインを購入するには?
- ウィリアム3世の金貨を高く売ることができる買取先は?
希少性の高いウィリアム3世のコインを購入するには?
ウィリアム3世は共同統治と単独政治の2つの時代があることから、発行年によってコインのデザインが大きく異なるのが特徴です。
他のイギリス国王と同様に発行年の肖像に差異はありますが、1694年以前のコインは共同統治者であるメアリー2世と共に描かれています。
どちらのデザインの金貨も人気・希少性がともに高いため、購入できる機会があるなら逃さないようにしたいところです。
当サイト「コインライブラリー・プリンシパル」でも、ウィリアム3世の金貨の取扱経験があり、今後再び入荷する可能性がありますので、定期的にサイトをチェックしてください。
ウィリアム3世の金貨を高く売ることができる買取先は?
ウィリアム3世のコインの買取も当サイトで受け付けています。
コインの鑑定から高価買取までアンティークコインの買取が初めての方でも丁寧にサポートいたしますので、まずはご相談ください。
また、買取だけでなく当サイトにコインを出品できるので、お問い合わせはこちらのページからお願いします。
まとめ
ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治の時代は、後のイギリスにおける王室のあり方の基礎を作った時代でもありました。
スペインのフェリペ2世など女王の夫が共同統治者となり統治したことはこれまでの歴史でもありましたが、ウィリアム3世はステュアート朝の国王の一人として広く一般的に数えられるようになっています。
金貨もウィリアム3世とメアリー2世の2人が描かれる物と5ギニー金貨でも高いクオリティを持つファインワークもあり、アンティークコインコレクターの間でも人気の高いコインが揃っています。
画像引用
https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=70624&pid=187693
https://www.royal.uk/william-and-mary
https://www.royal.uk/james-ii