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公開日 2024.10.8更新日 2024.11.24

雲上の女神 コイン特集 オーストリア皇帝の妻を描く人気金貨の秘密に迫る

雲上の女神とは、オーストリアでフランツ・ヨーゼフ1世の在位60周年を記念して発行された100コロナ金貨のデザインであり、皇帝の最愛の妻であるエリーザベトを描いた人気のアンティークコインです。

雲上の女神はその名の通り、雲の上に座す女神を描いた金貨ですが、女神のモデルはフランツ・ヨーゼフ1世の妻であるエリーザベトです。

愛妻家と知られるフランツ・ヨーゼフ1世ですが、エリーザベトとの馴れ初めから、動乱の時代で起こった悲劇などのバックストーリーから非常に人気の高い金貨となっています。

この記事では、雲上の女神の金貨について、モデルとなったエリーザベトとフランツ・ヨーゼフ1世の出会いから始まる物語を含めて紹介していきます。

この記事のポイント

・オーストリアのアンティークコインでも人気の高い「雲上の女神 100コロナ金貨」を紹介
・動乱の時代に悲劇に見舞われたフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトのバックストーリーを解説

雲上の女神 100コロナ金貨の概要

雲上の女神 100コロナ金貨 表

雲上の女神 100コロナ金貨 裏

概要 内容
発行国 オーストリア
発行年 1908年
額面 100コロナ
デザイナー ルドルフ・マーシャル (Rudolf Marschall)
ルドルフ・ノイベルガー (Rudolf Neuberger)
表面 フランツ・ヨーゼフ1世の右向き肖像
刻印(表面) FRANC IOS I D G IMP AVSTR REX BOH GAL ILL ETC ET AP REX HVNG
裏面 右手に月桂冠、左手に盾を持ち雲に座する女神
刻印(裏面) 1848 1908 100 COR·DVODECIM LVSTRIS GLORIOSE PERACTIS
刻印(エッジ) VIRIBVS VNITIS(みんなで力を合わせて)
グレード NGC PF62
直径 37mm
重量 33.88g
品位 900/1000金
発行枚数 約16,000枚
状態 Proof AU/UNC

雲上の女神 100コロナ金貨は、1908年にオーストリアで発行された100コロナ金貨であり、18歳で即位したことから治世が非常に長かったフランツ・ヨーゼフ1世の在位60周年を記念して発行されました。

表面には老齢の時代のフランツ・ヨーゼフ1世の肖像が描かれており、裏面に雲の上に座する女神が描かれていることから、こちらのアンティークコインは雲上の女神として世界中で親しまれています。

女神は右手に皇帝を象徴する月桂冠があり、左手にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれた盾を持っています。

描かれた女神は、フランツ・ヨーゼフ1世の最愛の妻であるエリーザベトをモデルにしているのです。

彼女はこの時代にはすでに悲劇に見舞われて命を落としており、死後に雲の上から夫と国民を見守っている様子を描いています。

そのため、雲上の女神のコインはフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトの愛の金貨と呼ばれることがあり、世界中で非常に人気の高いアンティークコインとなっています。

雲上の女神 100コロナ金貨を探す

雲上の女神 100コロナ金貨に関するエピソード ~オーストリア皇帝の愛の物語~

雲上の女神 100コロナ金貨に関するエピソードを、オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世と皇后であるエリーザベトを中心に見ていきましょう。

フランツ・ヨーゼフ1世と母ゾフィー大公妃

ゾフィー大公妃

母ゾフィー大公妃と幼少時代のフランツ・ヨーゼフ1世

フランツ・ヨーゼフ1世は、革命により叔父のフェルディナント1世が退位したことで、18歳という若さでオーストリア皇帝になります。

若くして皇帝に即位する君主は、親族の権力者に逆らえず、政治への介入も許すことが多々ありますが、フランツ・ヨーゼフ1世も母のゾフィー大公妃には逆らえませんでした。

ゾフィー大公妃は皇帝になれたことへの恩を理由に、政治にも介入し、フランツ・ヨーゼフ1世の婚約者選びにまで口を出します。

最初は、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の姪であるマリア・アンナ王女を息子の結婚相手にしようと画策しました。

当時のフランスではナポレオン3世が台頭していたことから、プロイセンと関係を修復することは外交において重要でした。

アンナ王女はフリードリヒ・ヴィルヘルム公子と婚約していたため、ゾフィー大公妃はこの婚約を取り消させるためにプロイセン王妃であった姉から国王に働きかけようとしますが失敗します。

婚約者選びもハプスブルク家にとっては重要な政策のひとつであり、婚姻政策によって領土を広げてきた帝国にとって将来を決める重要なことであるため、皇帝の意思は尊重されません。

フランツ・ヨーゼフ1世自身も生涯において身分の違う貴賎結婚を認めない君主であり、政略結婚になることは確定している状況でした。

エリーザベトに一目ぼれしたことで初めて母に逆らう

マリア・アンナ王女を婚約者にすることに失敗したゾフィー大公妃は、バイエルン公国の公女であるヘレーネ・イン・バイエルンでした。

ゾフィー大公妃は、フランツ・ヨーゼフ1世の23歳の誕生日を祝賀する名目でお見合いをセッティングします。

フランツ・ヨーゼフ1世とヘレーネの初めての顔合わせになりますが、フランツ・ヨーゼフ1世はヘレーネと一緒に連れられてきたシシィの愛称であったエリーザベトの美しい容姿に一目惚れします。

顔合わせの際にもエリーザベトに熱い視線を注ぎ、夜会でもフランツ・ヨーゼフ1世はエリーザベトとばかり言葉をかわしました。

ヘレーネは従順な性格であるのに対して、エリーザベトは自由奔放な女性であったといわれており、真面目な性格のフランツ・ヨーゼフ1世にはエリーザベトが魅力的に映りました。

しかし、ゾフィー大公妃はヘレーネを婚約者に選んだため、エリーザベトと結婚することは母の意思に逆らうことになります。

フランツ・ヨーゼフ1世は初めて母親に逆らい、エリーザベトと結婚する意志を曲げませんでした。

ゾフィー大公妃は初めて息子が自分の意思に逆らったことに困惑しながら、渋々にフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトの結婚を認めました。

1854年4月24日、ウィーンにてフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトの結婚式が挙行され、恋愛結婚で結ばれることとなりました。

順風満帆とはいかない結婚生活

フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト

フランツ・ヨーゼフ1世と妻のエリーザベトの結婚生活はけっして順風満帆なものとはいえませんでした。

母ゾフィー大公妃は、エリーザベトの自由奔放な性格をよく思っておらず、姑との関係は最悪なものであったからです。

ゾフィー大公妃とエリーザベトは対立することも多く、フランツ・ヨーゼフ1世は板挟みになりました。

ゾフィー大公妃の前ではエリーザベトの味方をすることはできませんでしたが、母のいない時にはエリーザベトに理解を示しました。

しかし、オーストリア皇帝としての政務が続くことから、エリーザベトと過ごす時間も限られたものでした。

エリーザベトはフランツ・ヨーゼフ1世自身に対して良い印象を持っていましたが、王妃になることは恐れていたといわれており、彼が仕立て屋であれば良かったと語っています。

フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトの間には4人の子どもを設けていますが、長女は若くして亡くなっています。

苦しい出来事も多い帝国の厳格なしきたりはエリーザベトの性格には合わず、その中でもフランツ・ヨーゼフ1世はできる限りの妻の自由を認めるように働きかけました。

しかし、彼女はさらなる自由を求めるようになり、エリーザベトは各地を放浪するようになります。

宮廷には戻らず各地を放浪するようになったエリーザベトに対してもフランツ・ヨーゼフ1世は十分なお金を渡して支援を続けました。

度重なる悲劇に見舞われたフランツ・ヨーゼフ1世

皇太子ルドルフを亡くした皇帝一家

フランツ・ヨーゼフ1世は、治世下においてさまざまな悲劇に見舞われた皇帝でした。

1889年、マイヤーリング事件と呼ばれる悲劇において、皇太子で息子のルドルフを亡くしています。

フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトにとって一人息子を亡くしただけでなく、帝国における跡継ぎを失った致命的な事件でした。

真相は不明ですが、この事件はルドルフ皇太子と愛人であったマリー・ヴェッツェラ男爵令嬢との心中であったと知らされています。

エリーザベトはこの事件をきっかけにさらに放浪を繰り返すようになりました。

しかし、エリーザベトもまた1898年に、放浪先のジュネーヴでイタリア人無政府主義者ルイジ・ルキーニに暗殺されました。

レマン湖のほとりで、暗殺者は心臓に研ぎ澄まされたヤスリを突き刺し、彼女を殺害しました。

フランツ・ヨーゼフ1世はこの知らせを聞き、続く悲劇に対して「この世はどこまで余を苦しめれば気が済むのか」と泣き崩れました。

この時ばかりは、フランツ・ヨーゼフ1世も公務に集中することができず、エリーザベトの生前の写真を眺め続けていたといわれています。

しかし、フランツ・ヨーゼフ1世の治世はその後も続き、1908年には在位60周年を記念してエリーザベトをモデルにした雲上の女神の金貨が発行されます。

最終的には、第一次世界大戦中の1916年まで在位し続けました。

皇帝としての立場から一緒に過ごす時間が取れず、ヨーロッパの動乱の時代の中で悲劇に見舞われた2人でしたが、それでもできる限りのことを尽くし、妻を愛し続けた愛妻家の皇帝でした。

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雲上の女神 100コロナ金貨の価値と希少性について

アンティークコイン

フランツ・ヨーゼフ1世はオーストリア国内では現在でも永遠の皇帝と呼ばれるほど人気が高く、ウィーンの街では現在でも皇帝の肖像画を様々な場所で見ることができます。

一方で、フランツ・ヨーゼフ1世の妻であるエリーザベトも、彼女の愛称であったシシィにちなんでシシィ博物館が造られるなど人気の高い皇后です。

雲上の女神の金貨はフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト愛の結晶とも呼べる金貨であることから、人気が高く世界中のコレクターに高い需要があります。

発行枚数は約16,000枚と考えられていますが、アンティークコインのグレーディング会社であるNGCにおいてはわずか数百枚ほどしか鑑定されておらず、状態の良い金貨がほとんど現存していないことがわかっています。

そのため、雲上の女神 100コロナ金貨は状態の良い金貨であれば、希少性が高くオークションなどでも高値で取引されているのが現状です。

当サイト「コインライブラリー・プリンシパル」でも雲上の女神 100コロナ金貨は複数回の取扱経験がありますが、コインのグレードによって価格が大きく変動しています。

金貨自体の人気の高さだけでなく、希少性も両立していることから、アンティークコインとして価値が高く、今後も価格が上昇することが予測されるコインとなっています。

売却においてもグレードの高いものであれば高値での買取が期待できるコインとなっているため、売却を検討の方はこちらのページからお申込みください。

まとめ

オーストリアを代表するアンティークコインである雲上の女神について紹介しました。

バックストーリーが惹かれるものであることから人気が高く、多くのアンティークコインコレクターから愛されています。

今後の価値の上昇も期待できることから、雲上の女神をコレクション、または投資対象として手元に置くことを検討してみましょう。

フランツ・ヨーゼフ1世とは? 永遠の皇帝と呼ばれた治世の歴史とコインを紹介

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紹介したコイン

  • オーストリア

    オーストリア フランツ・ヨーゼフ1世 (1848-1916) 100コロナ金貨 1908 在位60年記念 Fr-514 KM-2812 NGC PF62(Proof AU/UNC)

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この記事の著者

アンティークコイン ジャーナル編集部

英国王室シリーズから古代コインまで、幅広い年代のコインの紹介だけではなく、試鋳貨、造幣局による違い、彫刻家、リストライク、などアンティークコインの魅力や楽しめる知識をフラットに情報提供している。編集長は、英国王室コインと、動物コインシリーズが好き。

アンティークコイン ジャーナル編集部

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